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    能楽 ] 能楽をどうやって後世に伝えるかー山井綱雄師の挑戦は2018年も続く


    JUGEMテーマ:アート、デザイン、日々 / Art, Design, LIFE

     

    第四篇では、能楽の将来について、山井さんの持っている危惧とそれに対処して行動しているこの二年間を、熱く、語ってもらいました。

     

     

    “能楽は、博物館の陳列物になってはいけない。能とは何か、何を伝えていくかを常に考えています。”

     

     

    日本に住む日本人は、日本の伝統文化に、無頓着。そのことを海外に住んでいる日本人から指摘されました。よく聞く話で、日本に住む日本人は、海外に出て初めて、外国の友人知人から尋ねられ、答えられない自分が自国の文化を知らなさすぎるということを痛切に感じるといいます。今の若い人に限らず、茶道、書道、武道、能や狂言など、あまり知らない人が多いのは事実です。

     

    その理由の一つは、70年前の先の大戦の後、日本文化を『無菌殺菌』にして始めなければならなかったことがあると思います。その時、戦前からあった改めなければならないものを捨てるのだけでなく、日本が古来より伝えてきた、良かったことまで捨ててしまったのだと思います。といいますか、そうしないと、再出発出来ない時代だったのだと思うのです。あの時代から今日まで、日本人の心にぽっかり穴が空いてしまっているのです。この21世紀は、日本人が忘れてきたものに気づかなくてはならない時代だと、わたしは思います。

     

    そういう意味で、2020年東京オリンピックは大きな意味があると思います。しかしそれで終わりにしてはいけないのです。そこが始まりだと思った方が良いのだと思います。 「日本人が忘れかけている大切な何かを思い出す」、2020年のオリンピックをきっかけに、それに気がつかなければならない時だと思います。100年後・・・22世紀の日本人が21世紀を振り返ったとき、2020年の東京オリンピックを契機にして日本は良い方向に変わったのだ、という風に言ってもらえるような日本にしなければならないと思います。

     

     

     

    しかし、ただ古い物を守っていくだけではダメだと思います。古きを訪ねて新しきを知る。まさに温故知新の精神が必要だと思います。ある方は、「伝承」とは、前からのものをそのまま伝えていくもので、一方、「伝統」とは、新しい解釈を入れて時代に合わせて作っていくものと言っていまして。正に、生きたものなのです。

    (能とオペラを協演するという形で2017年にカナダのバンクーバーで公演。古いものを守っていくだけではダメ。山井さんの新しいチャレンジは成功している。)

     

    私のやっている能楽とは、偉大な金春流の先人たちが作ってきたもの、1400年もの間、苦しく辛い時代も乗り越えてきた大切な貴重な文化財産です。そこには、たくさんのヒントが詰まっています。これを現代に生かしていくことです。能は素晴らしいだけではダメ。能楽は、『博物館の陳列物』になってはいけないのです。能とは何か?何を伝えていくべきか?を常に考えています。今、生きていてここにあるものを伝えていく。それはいったい、何なのか。それを、突っ込んで紹介していく。今の時代に伝統文化を背負っている人間は、全てのジャンルを問わずそれを考えていかなければいけないのです。昔だけのものを守っているのでは、ダメです。それでは、どうしたら良いか。それが難しい。簡単に出る答えなどありません。どうすれば良いのかを、いつも自問自答し、もがいています。

     

    ある企業の社長さんが、「日本は中国にも韓国にもインドにも経済的に追い抜かれて、日本なんてもうダメだし落ち目だし、日本は終わりですね」と言われました。しかし、私は決してそうは思いません。高度経済成長の時のような爆発的なことはないかもしれませんが、日本人、日本という国が持っているポテンシャルがあります。アメリカとの貿易摩擦の時に、日本の製品がなぜあんなに売れたかというと、日本人が作り出すものは違うからです。世界の中で品質が良いなど、車や電化製品にしても、日本人は手先が器用で、個人主義ではなく集団主義を大事にし、産み出された日本製品は高く海外で評価されています。働き蟻などと表現されますが、あの時の日本人の精神というのは、ずっとそうだったのだと思います。日本人はずっとそういう民族なのだと思うのです。とても繊細な心を持ち手先も器用です。能楽はそういった日本人の特性があったからこそ、奇跡的に伝来してこられました。その日本の素晴らしさというのが凝縮されています。そういうことが今はややお囃子ろ骨抜きにされてしまっています。

     

    金春流が未来につながっていくために何が必要なのか、そこが私の目的の第一です。且つ今の時代を見て、世界の情勢を見た場合、日本人が古来からもっていた心というものが世界の人々に「ああそうか、そういう考えがあるのだ」と知らしめることの出来る、大事な時期だと思います。個人主義やある国の大統領のように自国ファーストと言って自分の国だけ良ければいい、ということではなく、「共存共栄していくのだ」という発想です。

     

    西洋文化や、所謂キリスト教的な発想にはこの現代にひとつの行き詰まりがある、と私は思っています。西洋文化やキリスト教を否定している訳ではありせん。西洋には善と悪が明確にありますが、100%善と悪に分けることなど出来ない、と私は考えています。少なくても、日本の文化は違います。日本の文化では、神と鬼は表裏一体です。神は鬼にもなります。だから鬼が100%悪い、という考えが能にはありません。能ではそういう描かれ方をしていません。また、鬼も西洋的なデビルやデーモンといった『悪魔』という存在はありません。鬼も可哀想で悲哀があり理由があるのだ、誰の心にも潜んでいるのだ、という所にスポットを当てているのが、能の中での鬼の役割です。

     

    その為に、色々なことをしてきました。以上がわたし個人の考えです。金春流の歴史から学んだのも勿論のこと、少なくとも他流の能楽師の方たちも同世代の方々はそのような考えを大なり小なりお持ちだと思います。これからは、こういうことを多くの日本人に、特に若い人たちにも伝えていくことが必要だと思います。そういうために、能楽の公演では私が主催する公演も含めて全て学生料金を設けています。

     

    又、頼まれて、企業セミナーや異業種交流会などでお話したり、学校などで子供達への啓蒙活動も積極的に取り組んでいます。子供達は、大人が憂いて考えるより遙かに能楽の素晴らしさを感じてくれます。手応えを感じます。

     

    又、昨年10月には、カナダのバンクーバーで、能を元にした新作オペラを作り能とオペラで共演するということに取り組みました。

    カナダ人オペラ歌手や室内楽の方々に囲まれて、これこそ究極の異文化交流。作るのに大変な労力が掛かりましたが、大変に素晴らしい作品になり、現地で大絶賛を受けました。いつか、日本でも再演したいです。



     

    又2017年は、同い年の金剛流能楽師・豊嶋晃さんと、異流共演能という形で、東京と京都で「二人静」を勤めました。異流で、二人静という演目を共演するのは前例がなく大変に難しいのです。しかしこれも、今までにない素晴らしい作品になり、とても評価して頂きました。

    山井綱雄 能オペラ

     

    これまた同い年の津軽三味線の第一人者・上妻宏光さんとの年始の東京国際フォーラムでの共演、そして、私の少年時代からの大ファンで親愛なるデーモン閣下と上妻さんと私による能舞音楽劇「義経記」は、今年も全国各地で上演させて頂きます。閣下の語りと歌と、上妻さんの演奏と、私の舞。有り得ない組み合わせで義経の生涯を描く大作です。涙あり笑いありの、何方でも楽しめる、一大エンターテイメントです。

     

    そして今年は、お陰様にて、私の舞台生活40周年記念の年なのです。

    1026日金曜夜 国立能楽堂 「舞台生活40周年記念山井綱雄之會」にて、観世流の梅若紀彰さんと、あの野村萬斎さんと能「蝉丸」で共演することになりました。

     

    新しい能のファンを作っていくために、本当に、もがきながら試行錯誤をしています。

     

    一方で、気がかりなことがあります。能面も装束も今でも新しいものが作られています。しかし、そういう業者さんも絶滅寸前で、作っていただいている京都の能装束屋さんは自分の代で廃業する、と言っています。2軒くらいしかなく、非常にまずい状況です。滅びてしまうと本当に取り返しがつかないことなので、なんとかしてほしい、と心から思っています。

     

    実際にこの能装束を作られている京都の西陣の、佐々木能衣装の社長の佐々木さんにお会いし、厳しい労働条件で機織りをされている職人さん達の現場を拝見しました。本当に過酷で、あんなに大変なところで作業されているとは、驚きました。能装束にお世話になっている能楽師は皆見に行べきだと思いました。国の支援がもっとあれば、と思います。そして、需要があれば。そのためには、能楽全体が底上げされ、需要が増えるしかありません

     

    「羽衣」の話をします。この話は、日本と日本人の在り方について教えてくれます。

     

    羽衣というのは能の中で一番有名な演目で、三保の松原の天女が降りてくる話です。この羽衣には、日本人のこころに繋がる、すごく重要な裏テーマがあると言われています。

    羽衣替の型

     (羽衣替の型)

     

    漁師が浜辺の松に置いてあった天女の衣をひろい、家の宝物にしようと思ったら、天女が戻ってきてそれを返してください、と言うのですが、「自分の宝物だから」とそれを漁師が拒みます。そこで天女が泣いてしまい、かわいそうだから返してあげるけれど、さぞ美しいと聞いている天女の舞をってくれたら返そう、と漁師は交換条件を出します。天女はそれがないと神通力も使えないから、とにかく返してください、と懇願します。しかし、漁師はそんなの嘘だろう、どうせ返したら約束を果たさずにすぐ帰ってしまうのだろう、と疑います。

     

    その返す刀で発する天女の言葉が、大変に有名な一節です。

    「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」

    素晴らしい、深い一節です。偽りというものは人間にこそあって、天上界には嘘偽りというものは存在しません、という意味です。その後、漁師は手渡しで羽衣を返します。そして天女は舞を舞って天に帰っていきます。天に帰って行く前に、日本の国土に宝を降らせる場面があり、そういう動作(型)をします。七宝充満の宝降らすのです。天女が、日本の国に、幸せを降らせるために来たのだ、ということが最後の最後にわかります。そして、最後は、富士山の高嶺に飛んで帰っていく、というお話です。

     

    実は日本全国に伝わる羽衣伝説というのは、この能「羽衣」と違い、ひどいお話です。ほとんど拉致のような話・・・結婚して子供を産ませ、その子供が蔵の奥のほうに羽衣を隠していることを見つけ、それを天女が知り羽衣を取り返し逃げていく、という誠に眉をひそめたくなる話になっています。では、なぜ能だけがこういう良い話になっているかというと、羽衣伝説が三保の松原を舞台にしている事がひとつのキーポイントかと思います

     

    能「羽衣」の作者は不明で、これは一つの仮説・おとぎ話としてお聞き下さい。この「羽衣」の舞台となっている三保の松原がある静岡市清水一帯は、むかしは駿河(するが)」という国でした。実は、インドネシア語に、スルガ発音する、「天国」という意味を指す言葉があります。黒潮で海流に乗ってインドネシアから辿りついた人がいたのではないか、と考えられているのです。つまり天女は、外国人という説です。通常、アメリカなどでもそうですが、外国人が来ると原住民との間で戦争が起こります。しかし、この能のお話では一切戦いがなく、和解しています。実はそういう流れ着いた人たちが天女として描かれ、この三保の松原にて共存共栄して仲良くしたのではないか?そういう事実があったのではないか、と一説には言われています。

     

    能の中で天女が漁師に対して羽衣を返してと頼むとき、「もとのごとくに置き給へ」という言葉あります。つまり、元の場所に(松の木にかかっていたように)戻してくさい、という意味です。天人は月の世界に住んでいる人で、天人にとって人間は汚らわしい存在のため、触りたくないので元の場所に置いてください、と言っているのです。

     

    先ほどの「いや疑いは人間にあり。天に偽なきものを。」「あら恥かしやさらばとて、羽衣を返しあたふれば。」の後、漁師から天女へ衣を返す場面になるのですが、金春流の天女の台詞で「さらばこなたへ給はり候へ」と言います。つまり直接わたしに手渡してください、という意味で、漁師は天女に直接手渡しで羽衣を返します。本来、天人にとって人間は交わることさえもない汚らわしい存在にも関わらずそうしたのは、まさに共存共栄で仲良く暮らしていくというメッセージが込められて描かれているのだろうと思うのです。そして、天女は約束の舞を踊り、宝を降らして帰っていきます。日本人の本来もっている心が、漁師と天女の和睦に集約されているのだろうと思います。これが日本人の心だと思います。

    能の羽衣

    (山井さんの羽衣の舞)

     

    最後に、2018年の抱負は?

     

    今年2018年は、お陰様にて、芸道40周年を迎えることが出来ました。節目として10月26日金曜夜18:00開演 国立能楽堂 「芸道40周年記念山井綱雄之會」にて、能「蝉丸」をプロデュースと主演をします。先ほども触れましたが、能楽界のスターである観世流の梅若紀彰さんが「僕の舞台に出てください」とオファーを出したところ、快く出演してくださることになりました。紀彰さんの叔父様は人間国宝である梅若実先生で、現代能楽界最高の演者です。その方の後継者であります。梅若という家はとても歴史があり京都の丹波出身の家で800年ほどの歴史があると言われています。紀彰さんはその次の当主になられる人です。

     

    能「蝉丸」での、「蝉丸」というのは弟でその役を紀彰さんが、姉の「逆髪」役を私が勤めます。身体的ハンディキャップの為に、捨てられてしまった兄弟が再開し、また別れてしまう、という悲哀の名曲です。蝉丸は天皇の子で、盲目で生まれたため、大坂山に捨てられてしまった、というかわいそうな話です。狂言の野村萬斎さんにも出ていただきます。これがひとつの区切りとしての集大成であり、このような素晴らしい方々と肩を並べてどこまで出来るか、というところをお見せしたいと思っています。

     

    又、2017年は正月元旦にしたのと同様に、2018年は正月の二日に、日本で一番人気な三味線の上妻宏光さんのライブに出演しました。そういう方と一緒にできることを光栄に思います。同じ歳ということもあり、何より刺激になります。違うジャンルであっても、上妻さんはとても根性があり、これだけ売れてメジャーなレコード会社と契約をしているにも関わらず、そこに奢ることなく、若いころやっていたように三味線一本で、飲み屋などを周りお客さんに聴かせることもいつでもできる、そこでお客さんをおっと言わせる自信があると、そういう気持ちをいつも持ち続けています。そういう強さをもっている人なので一緒に共演していてもひしひしと感じます。とても励まされ刺激的な存在です。自分も能楽師をやってて良かったと思えるひとときです。

     

    又、二月には、千葉県の青葉の森公園芸術文化ホールで青葉能もありました。そこでは、「夕顔」という演目でシテを勤めました。我が金春流では、この「夕顔」を、400年ぶりに復曲しました。とても歴史に残る仕事をさせて頂きました。

     

    昨年7月には、重要無形文化財総合指定保持者の認定を受けました。

    また、長男の通う中学校のPTA会長にも今年度(平成30年度)なりました()

    また、能楽界でも、大きなお役をさせて頂くようになりそうです。

    これからも、次の世代の伝承への努力と、私自身の芸の研鑽、そして、日本中に世界中に、「日本のこころ」を伝えていきたいと思います。

     

    皆様も是非、能楽堂へ足をお運び下さいませ!!

    (このスケジュール表は、昨年末から今年前半のものですが、どんどん新しい演目が入ってきているので、ブログ

    https://ameblo.jp/yamaitsunao/ 

    を、チェックされてください。(筆者)

     


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      能楽 ] 生涯で一番心に残る演目は? 金春流シテ方山井綱雄師に聞いてみました。


      JUGEMテーマ:能楽

       

      ”金春流79世宗家金春信高先生が77歳の時に、「関寺小町」を舞われました。これが、私の一番心に残る演目です。人間が人間を具現化するという芸術の中で、能楽以上のものはない、と確信しました。”

       

      能楽という芸術は、奥深さという点では世界屈指です。決して他がダメだという意味ではありませんが、わたしは、能楽は世界最高の芸術だと、よく言っています。森羅万象、閻魔大王から草木の精霊や蝶々まで、老若男女あらゆる役が出てきます。人間の喜怒哀楽も表現しつくしていると言われています。

       

      その能の最終境地が老女を演じること、だと言われています。金春流では、「関寺小町」という演目があり、一子相伝で家元しかできません。ちょうど20年前、わたしの能楽の父であり恩師である、金春流79世宗家金春信高先生が77歳の時に、その関寺小町を舞われました。これが、私の一番心に残る演目でした。

       

      先生は、当初は、関寺小町を舞わないと仰っていましたが、先生のお父様78世金春八条先生が舞われてから、すでに30年以上も経っており、他に誰もできないため、周りから懇願されたそうです。

       

      その時に、信高先生が個人的にわたしに、「自分は関寺小町を舞う決意をした。一年間全ての弟子の稽古、全ての舞台を休んで、関寺小町だけに集中したい。だから君の稽古も休ませて欲しい。」 そういう風におっしゃいました。わたしも、「ぜひ、集中なさってください」と申し上げました。そして当日は観客席の一番前で見よう、などと思っていたのですが、本当に驚いたのは、弱冠24歳の駆け出しのわたしが、8人の地謡のキャストの一人に選ばれていたのです。能楽最高の曲なので、本来はこんな若造が入れるわけもなく、もっと相応しい先輩方がいたのも事実です。しかし信高先生のご意志もあったおかげで、地謡に入れていただく事ができました。

       

      通常の能は特にリハーサルもなく(必要なときは一度だけやり)、本番をむかえます。しかし、この時ばかりは、みんなで集まって全体稽古を、何回かしました。わたしがさせて頂いた地謡を謡うのは、当然難しかったのですが、とにかく、何に一番驚いたかというと、信高先生が演じられたシテ(主役)の、100歳になった小野小町の役の難易度でした。100歳になった小野小町が七夕の夜に舞を舞うというシンプルなストーリーです。しかし当時24歳のわたしは生意気ながら、先生の稽古風景を拝見した時に、あまりにもその主役小野小町役の謡や型が簡単すぎたので、「何が一子相伝なのだ、何で一年もかけるのだ」と、理解に苦しみました。

       

      100歳の小野小町の役は杖をつき、謡の節もシンプルで簡単だし、動きも簡単簡素だったのです。何が難しいのか、全く理解できませんでした。自分だったら一週間で出来てしまう、とも思っていました。しかし、稽古を重ねていくうちに、能楽の本質というものが見えてきました。確かに、能楽には美しく見せるための技術、というものが存在しますが、最終的にはそういった技などを超越した世界になっていきます。だからこそ、100歳の小野小町という設定にする意味があったのだ、と気づきました。

       

      能では、あの世の世界の人、つまり幽霊や、超人的な力をもった神様などをも演じますが、それはある意味で簡単なことなのです。あの世の世界の人なので。中世の時代を考えると、100歳というのは、今の感覚でいうと200歳くらいに相当するのではないでしょうか。しかしそれも人間なのです。

       

      関寺小町の物語は、あの小野小町が100歳になって、ぼろぼろな姿で一人寂しくあばら家に住んでいる。和歌に詳しく文才のある老女が近所にいる、と聞いた関寺のお坊さんが、そこへ稚児を連れて七夕の日に訪れる。そして色々話しているうちに、そのお婆さんが小野小町だということが分かる。それが小野小町の成れの果ての姿だと知るわけです。稚児が舞を舞いだすと、その若さにつられて、杖をつきながらよろよろと昔を思い出しながら、七夕の夜に舞う。というものです。

       

      100歳の小野小町は美貌も金もなく、何が残っているのかというと、若かった頃と変わらぬ『魂』です。能の最終地点は、死が目前に迫ってきている人間の集大成である生き様、心や魂を、舞台上で表すことなのです。そうなると、かえって技などは邪魔になってしまい、テクニックを使って美しく上手に見せることが、一切必要ではなくなります。

       

      能楽の中で私の年代の40代という年代は、技術を追い求める世代です。その先の50、60歳が本当の役者のピークだと言われており、40代以降は、段々と身につけてきた物を、今度は捨てていく作業になります。そのような事を、関寺小町の稽古の最後の最後のほうに悟ることができました。「そうか技ではないのだ、『心』なのだ」と。関寺小町は一時間半の演目で、シテは真ん中にただ座ったままで存在しつづけ、最後の最後に舞を舞います。

       

      本当はやってはいけないのですが、ふと本番中に小野小町に目がいった時、その姿に本当に吸い込まれました。金春信高先生の77歳の人生がそこに凝縮されている、とも感じました。信高先生はとてもご苦労をなさった方で、それまで、紆余曲折のある人生を経験された方でした。その舞台で信高先生には「何かすごい物を見せてやろう、がんばって何かをやり遂げてやろう、生き様を見せてやろう」などという思いは決してありませんでした。とても謙虚なお姿でした。家元の家で生まれ77歳まで能楽を精進しつづけ、こうして関寺小町を周りの弟子やたくさんの方の協力の上で勤めることができた、という感謝しかありませんでした。ご本人は淡々とやり、しかしながらその一挙手一投足が筆舌に尽くしがたくすごかったのです。それを見た時に、これが能楽の最高の世界だと思いました。まだこれから40年はわたしも能楽をしていくと思いますが、完全にあの舞台が人生で最高の能楽の舞台だと言い切れます。

       

      ところが、信高先生は小野小町の姿で、その能関寺小町の終盤に、何と倒れてしまいました。能では地謡は決して何があっても途中で止めてはいけないという掟があります。ですので、先生が、目の前で倒れられているにも関わらず、囃子も地謡もそのまま止めずに続けました。そして後見というシテを手助けする黒子が慌てて飛んできて、信高先生を起こしました。信高先生は、それでも何とかして、杖をついて舞おうとするのですが、再度、倒れてしまいました。それなのに、また起き上がろうとする、という姿に国立能楽堂の満席のお客さまたちは、それが演出なのかどうか呆気にとられ、やがて、そうではないと悟り、客席中がすすり泣きの声が響きわたりました。「このままでは先生が死んでしまう!助けなければ!」と思うのですが、謡も止めることができません。

       

      合計3回先生は倒れられ、それでも立ち上がり舞おうとしていました。続行不可能ですが能は続けなければならず、家元のご親戚の主後見の金春晃實(てるちか)先生が、裃の衣装のままで代役をつとめました。後日、信高先生にお話を伺うと、意識が全くなく覚えていないと言っていました。最後、先生は囃子方の後ろにおられ、その代役の晃實先生の舞が終わると、別の側近の弟子が手を添えて、橋掛かりを歩いて帰っていきました。

       

      先生が弟子に手を添えられて橋掛かりを帰っていく後ろ姿も、一生忘れられません。あれこそ、金春信高という人が歩んできた人生そのものなのだ、と。どんなに後見に止められようが、倒れても倒れても舞続けようとした姿・・・どんなに苦しいことがあっても、明治維新以降、苦労と苦境の連続だった金春流復活の為、奔走し歩んで来られた金春信高先生の壮絶な「生きざま」を物語っているのだ、と思いました。

       

      公演後、控え室に何人もの「自分は医者です」と名乗る方がみえ、翌日先生は病院へ行き、精密検査も受けられましたが、どこにも異常がありませんでした。終わったあと、意識が朦朧とする中で、先生はわたしたち弟子に深々と「申し訳ありませんでした」と手をつき頭を下げてくださいました。舞台がそのようになってしまった、という事に本能でそうされたのだと思います。

       

      金春流は明治維新でとても苦境に立たされ、その不遇が長く続きましたが、信高先生は一代で立て直されました。それはこれから後世の人たちに評価されるだろうと思います。それくらいの功績を上げられた方です。そして、その先生の人生が凝縮された舞台姿を拝見した時に、人間が人間を具現化するという芸術の中でこれ以上のものはない、「能楽は世界最高だ」と確信しました。

       

      ”もう一つ、一生忘れることが出来ない想い出は、東日本大震災の慰霊祭のことです。”

       

      東日本大震災の慰霊祭やチャリティーのときには、いつも能「羽衣」を迷わずやりました。能「羽衣」の主人公は天女です。わたしが「依り代」になることで、「傷ついた東北の大地に天女が降り立ち、復興の寿福の宝を降らしてほしい」というメッセージを込めました。福島県相馬市、宮城県名取市、そして、震災の前から薪能などをさせて貰いご縁のあった、福島県いわき市でもやりました。

       

      いわき市では岩間町岩間海岸という所で、「なこその希望鎮魂祭」というイベント名で、震災一年の慰霊祭という形でやりました。津波ごっそりと家屋がなくなった岩間海岸の土地に野外ステージを立てました。しかしながら、当日は生憎の雨で、直前まで舞台を決行するかどうか悩みました。ボランティアスタッフの方の中のある男性が「こういう素晴らしいことをしているのに雨が止まないじゃないか。どうせ俺たちは天に見放されたんだ。」と腐って怒っていました。それを身近に聴いて、心が痛みました。

       

      通常、能は野外では能面や装束お囃子の楽器は水に濡れると駄目になってしまうので、雨天ではできません。中止にします。主催者から判断を任された私は、一緒に手弁当で来てくれた能楽師たちに相談すると、「鎮魂のために来ているのだから何としてもやろう」ということになり、風が横殴りで雨がザーザーと降る中、始めました。異例中の異例です。すると、能「羽衣」の中盤、天女が羽衣を取り戻し、お礼の舞を舞い始めようとした時です。わたしの能面の狭い視野からお客様達の後ろに瓦礫の山が見えていて、その奥に見えていた天が、何と二つに割れるのが見え、太陽の光がパーっと真っ直ぐに差し込んできたのです。その光景にあまりにも驚き、一瞬役を忘れて呆然となってしまいました。囃子も皆演奏しながらびっくりしていました。

       

      お客様からは、舞っていたわたしに太陽の光が後光が差したように見えたそうです。

       

      そして、羽衣を舞い終えると、雲ひとつない快晴となりました。わたしは終了後、面を取りマイクを手に取り、舞台に再び上がって「皆さん!この空を見て下さい!晴れない空はない。これこそ、『なこその希望』じゃないですか!!皆さん頑張って下さい!!!」と絶叫してしまいました。お客様として見てくださっている被災者の皆さんから、ウワーと拍手が沸き起こりました。先ほど、天に見放されたと言っていた男性スタッフも、笑顔で拍手していました。

       

      能は『鎮魂の芸能』とも言われています。能楽師はそういう時こそ、魂を慰めるために、能は必要だと信じています。そして、それが本当なのだと実感した日。あの雨の日の舞台が急に晴れ上がり快晴となり、そこで能を勤めたことは一生忘れることができません。

       

      去年いわき市の慰霊祭で、その時の羽衣の簡易バージョンを舞いましたが、その6年前の晴れた時のことを覚えていてくださっている方たちが多くいました。当時は雨天の中決行したため、主催者の方は相当なクレームなどもありご苦労されたとのことです。しかし、何よりも被災者の方々が「良かった、励まされた」と言ってくれたことが全てだ、と言っていました。「文句を言われようが問題無い、やって良かった」と今でも胸を張って仰っています。その通りだと私も思います。

       

       

      第三編は、山井さんの一番感動した、「関寺小町」という演目の話と、いわき市での慰霊祭の話でした。山井さんの話されたこの話を、限られた紙面の中で表すことは、ほぼ不可能に近いものですが、少しでも、お伝えすることができたらと思います。第四編では、山井さんが考え実践されている、「能をどうやって、次の世代、世界に伝えていくかを、語ってもらいます。」これは、日本の古典芸能だけではなく、日本的なもの、書道、日本画、ひいては、和紙の製作などにも共通するテーマです。更に、わたしたち、日本人が、これからを、どう生きていくべきかも考えさせらるテーマだと思います。


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        美術館 ] 久保修さんの「紙のジャポニズム」


        福島県の県立文化センター・みんなの文化センターに、切り絵画家の久保修さんの展覧会が4月1日から開かれています。きょうは、それを見に行ってきました。始まってから二週間だったけれど、人気がありますね。見に来る人が多かったです。そして、結構皆さん、ゆっくりと鑑賞されていました。切り絵に興味がある人が結構多いのですね。

         

        久保修展覧会

         

        テーマは紙のジャポニズムでしたが、久保さんの集大成というような感じで、必見です。作品数も3階の大きなスペースをいっぱいに使っているし、久保さんがSAKURAという切り絵を作っているところのDVDを見れたり、盛沢山です。最初に、紙のジャポニズムのテーマを説明する久保さんの言葉が印象的でした。「日本を見つける旅、日本に出会う旅、そして日本を感じる旅となった。」

         

        久保さんとは、先月インタビューをしたので、この展覧会も実に、親近感がありました。そのインタビュー記事は近く公開できると思いますので、今、しばらくお待ちください。

        久保修展覧会

         

         


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          能楽 ] ”能楽を習うにはどうすればいい?” 金春流シテ方山井綱雄師 インタビュー第二篇


          "能楽を初心者が見るには、何を見たら良いのでしょう?"

           

          よくお正月に上演され、私が属している金春流(こんぱるりゅう)が約1400年前から演じてきた演目に、「翁(おきな)」というものがあります。エンターテイメント性はなく、純粋な「天下泰平」・「国土安穏」への祈りです。現代でもこんな世界があるのです。 

           

          翁の役を演じる人間は、精進潔斎をして当日舞台に挑みます。幕の裏側に鏡の間という部屋があり、そこに神式の翁飾りという神棚を作ります。そこにお供えをし、開演前に、総勢30名ほどの全出演者が集まり、お神酒、生米、塩を供し、火打をします。それを、今でもお客さんの見えない鏡の間でしています。厳粛に必ずやっています。舞台上で神になるということから、シテは能面を舞台上でつけ、終わると神が融けるということで舞台上にて外します。

           

          翁は唯一人、お客様に平伏します。初めに翁が出てきて、その後に全出演者が一列に並び続くという「翁渡り」というものをします。翁渡りは、お客様にではなく、舞台の正面にいると考えられている神様に礼をしているのです。ここでいう神様というのは、特定の神様を指しているのではありません。

           

          能の表わしている世界は、現代でいうスピリチュアルな世界です。演目によっては、恐ろしい鬼も出てくるので、ホラーのような側面もあります。しかし、現代に比べると昔は今よりも「死」といものがもっと身近なものだったので、スピリチュアルなほうにもっと近かったはずです。現代は、「死」が身近ではない世界になりましたが、昔はいつ死んでもおかしくない、という時代でした。だからこそ、その死の先に何があるのだろう、と考えざるをえなかったのだと思います。能はそういう「あの世」のことを表現しています。ですから、単なるエンターテイメントではないのです。

           

          能の羽衣

          (画像は山井さんの羽衣)

           

          初心者の方や、能を知らない方が、ストーリー性を楽しむには、「船弁慶」と「黒塚」(観世流では「安達原」)がお奨めです。それと、わたしが一番好きなのは「羽衣」です。船弁慶だけは1時間20分ほどかかります。黒塚、羽衣は大体1時間の演目です。オリンピックが近づいてきているので、子供向けや若い学生さん向けに公演をしてほしい、というご依頼が増えています。そういった子供や若い人向けに演じる場合は、これら3つのうちどれかをやることが多いです。それと、もう一つ、「土蜘」(観世流では「土蜘蛛」)という演目があります。これは歌舞伎にもなっていますが、能が基になっています。これら4つは能を初めて見る方が見ても面白くご覧いただけで、初心者向けです。

           

           

          ”能を習うにはどうすれば良いのですか?経験のない人が、実際に、自分が舞ってみたい、謡ってみたいと思ったら、どうしたら良いですか?”

           

          各能楽師のHPがありますから、そういうところに問い合わせをしていただくとか、SNSも今は発達しています。一番高い方の月謝で2万円ほど。あとは1万五千円、1万円など。流派や能楽師によってまちまちだと思います。

           

          回数でいうと、わたしの場合は月二回のレッスンですが、月3回や4回などこれも流派や能楽師によってまちまちで、一概には言えません。レッスンの内容はわたしの場合、個人レッスンで一人20分。舞は3〜5分くらいの短編の舞を、初歩の初歩から、少しずつグレードを上げていきます。個人の課題曲は人それぞれ違います。舞について稽古をして、そして、謡(うたい)も稽古します。舞と謡では、能は謡のほうが難しいと思います。比較的、男性が謡を好み、女性は舞の稽古を好む傾向があります。

           

          私は、東京都内(赤坂、新橋等の港区内)、門前仲町、横浜、地方では千葉県銚子市、福島県いわき市、埼玉県小川町に教室があります。さらに、東京の青山一丁目のNHK文化センターに初心者講座を、大人の休日倶楽部に座学の講座を、地元の横浜久良岐能舞台にて、教室を開催しています。どうぞ、ご興味がありましたら、お気軽に見学にいらしてください。

           

          (ちなみにこちらが山井さんのHPhttps://ameblo.jp/yamaitsunao/)(また、アメブロ、フェイスブック、ツイッターもあります。)

           

          久良岐能舞台での練習

          (久良岐能舞台での夕方の練習風景)

           

          最初始めるには、なかなか敷居が高いという方には、カルチャースクールやカルチャーセンターという選択肢もあります。カルチュアスクールでも、最近は能の稽古をしているので、良いかもしれません。わたしも青山一丁目のNHK文化センターの青山本校で、月一回木曜日の夜に教えています。半年、続けていただければ、能が面白くなってくると思います。

          久良岐能舞台での練習

          (久良岐能舞台での1対1の練習風景)

           

          又、能の構えやすり足は体幹トレーニングにもなり、インナーマッスルも鍛えられるため健康に良いです。なぜ能楽師が長寿かというと、すり足によって足腰が鍛えられてインナーマッスルや体幹が強いからです。

           

          能の腰を入れる所作は、どうやって稽古するのか?人によっては、筋トレをされている人もいますが、自分は、普段の稽古が大事と思っています。能の稽古をすれば、体幹とインナーマッスルが鍛えられて、能の腰になってくるのです。能の構えはスキーを滑っている時と同じです。アマチュアの方やワークショップでも、スキーを滑る時に例えてお話しすると、とても良く理解してくださいます。

            

          能楽師が70歳80歳になっても、10キロ近い装束を着て、視野が殆どない能面を付けて、1時間半も舞台の上で舞い続けることができるのは、能の摺り足で足腰や体感が鍛えられているからなのです。

          能の摺り足

          (能の摺り足)

          カルチャーセンターのレッスンは場所や流派にもよりますが、一例としては、6000円ほどで、わたしは、地元横浜の久良岐能舞台でも講座があり、グループレッスンも開いています。久良岐能舞台は、横浜の上大岡から行きます。とてもお庭が素敵で、静かで風情があり、一度いらしていただくと分かりますが、能の歴史的な深さを体験できる場所です。ぜひ気軽にお出かけいただければと思います。

           

          山井綱雄

          (インタビュー風景、実に優しい笑顔で、山井さんに習うのは怖くなさそう。)

           

          道具としては、装束、面、扇、足袋があります。普段のお稽古の時は、洋服で扇と白足袋だけです。最初から特別しつらえる、ということはありません。中には発表会にむけて、着物を買われるかたもいらっしゃいますが、お持ちでない方にはお貸ししています。最初はできる範囲で続けていただくことが大切です。

           

          舞を舞うことも謡を謡って声を出すことも、どちらも、ストレス発散になります。マイクを使わないので、お腹から声を出し、地声をどう響かせるかというところから始まります。それこそが、能が能であるために、大事なところなのです。いくら音声技術が発達しても、空気がピンと張り詰めることは、テレビの画面ではなかなか伝えることができません。しかし、その能の伝わりにくい部分にこそ意味があり、だからライブで、生で観て、聴いていただくと、良さを一回で理解して頂けると思います。

           

          能は、わが国の最高権力者たちによって愛好されてきました。ですので、能は、趣味の中では最高ステータスです。趣味のステータスとしては能以上のものは無いと言えます。昔は将軍、大名からはじまり、特権階級の方々にしか愛好されていませんでした。今では、どなたでも気軽に能を嗜んでいただけます。それはごく最近になってからなのです。

          真田丸

          (NHK大河ドラマ真田丸でのシーン)

           

          ”初めてやろうと思っている人間には、能の五流派というのが分かりづらいのですが?”

           

          能楽には5つの流派があります。一番所帯が大きいのが、観世流(かんぜ流)。そして、一番新しいのが、江戸時代にできた喜多流(きた流)、それでも400年になります。そして、金春流(こんぱる流)、宝生流(ほうしょう流)に金剛流(こんごう流)があります。観世流、宝生流、金剛流は、室町時代の観阿弥・世阿弥父子の時代の頃が起点になっています。

           

          一方、私の属している金春流は、飛鳥時代に遡ります。聖徳太子の後見人といわれた、「秦河勝(はだのこうかつ)」という渡来人を始祖としています。ですから、金春流は、歴史的にみると一番古くからある流派です。現在の我が宗家の金春憲和師は81代目を数えます。他の流派のご宗家が20−26代であるのに比べてみても、金春流の歴史の長さを感じていただけると思います。

           

          わりと、皆さんから勘違いされているのは、能楽は世阿弥がゼロから創作したものではありません。彼は、様々な先行芸能をミックスしてオーガナイズしたのです。能はある意味ハイブリッドな芸能なのです。そんな中で、金春流は、古来からの宗教的アトラクションをしていた流派です。所謂、自然崇拝、シャーマニズムです。他の流派と違って、金春流は、現在でも奈良を拠点にしています。1000年前より、春日大社で神事の舞を、今現在でも奉納しています。能舞台の背景の松の絵は、春日大社の一の鳥居横にある「影向(ようごう)の松をモデルしたと考えられています

           

          流派によって何が異なるのかというと、舞方と謡(うたい)の節のメロディーが流派によって異なります。よく見慣れている方なら見比べて、その違いを認識できるかもしれませんね。具体的には、基本形はありますが、動き方が全然違います。

           

          観世流と宝生流は少し似ています。また金春流と観世流とは全く違う動き方をします。台詞が流派によって違うということもありえますが、台本の本文自体は8〜9割がほとんど共通のものです。メロディー、つまり謡の節が違います。

           

          それぞれの流派によって、特徴やアイデンティティがあるので、それが時代を経て特色として出てきているのだと思います。金春流は野外で行っていた歴史が長いので、昔ながらで、古式を重んじて型を大きく扱います。手を大きく広げて、オーバーアクションで、声も大きく出します。やはりそれらは野外でしていた歴史が長かったことが根底にあるように思います。そして、ほかの流派は、中世の時代に京都に早くから進出していき、都会に出ることでモダンな洗練された芸風になりましたが、金春流は、京都で上演することはもちろんありましたが本拠地は奈良のままでしたので芸風が素朴だとも評されます。

           

          具体的に言うと、写実的な型をすることがあります。「鉄輪(かなわ)」という演目があり、先妻の女が、自分を捨てて後妻をとった夫を呪うという曲で、その中で女の怒りのスイッチが入った時に、装束の裾を捲り上げる型があります。それは、かなり写実的な所作です。

           

          “金春流には、どういう経緯で入られたのですか?”

           

          私の母方の祖父は、金春流の能楽師でした。梅村平史朗といいます。私は外孫です。私には兄が二人いますが、能はやっていません。母の兄、つまり伯父の一家も能をやらなかったです。昭和の高度成長期は、欧米化が盛んに叫ばれ、日本の伝統文化は否定され、嗜好される時代ではなかったのでしょう。

           

          小さい頃、祖父の家に遊びに行ったときに能面図鑑を見ていたんです。それに気づいた祖父が、綱雄は、能に興味があるようだと言っていたそうです。そのころ祖父は、病気だったので、私は病床の祖父しか知らず、祖父の舞台を見たことがありません。私の初舞台の三か月後に、祖父は亡くなりました。祖父の芸は、祖父の高弟であった女性能楽師のパイオニア、富山禮子先生に教えていただきました。

           

          小学校6年生の時、祖父の7回忌追善能の舞台で初めて、シテを勤めました。演目は「経政」でした。その時に、能楽師になるんだと決意したことを覚えています。その後、私は金春流79世宗家金春信高先生に師事しました。小学5年生の時に、直弟子になって以来、信高先生より手取り足取り「金春宗家」の芸をご伝授頂きました。

           

          第二編は、ここまでです。能には、興味があるけれど、どういう風にしたら良いか分からない。いや、この記事を読むまでは、能を習うなど考えたこともない人のためのガイドとなるような記事になれば良いと思います。第三編では、その山井さんが「一番感動した」のは、という話です。この話をしていただいた時、約一時間ぐらい、その話に聞き入ってしまいました。


           

           


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          能楽 ] 「能楽はマインドフルネス」  金春流シテ方山井綱雄師のインタビュー 第一篇 


          今回、ご紹介するインタビューは金春流能楽師の山井綱雄さんです。

           

          筆者は、今まで能楽とは全く無縁でした。昨年の11月に、横浜の久良岐(くらき)能舞台で、山井師にインタビューをさせていただきました。さらに、昨年の年の瀬もおし迫った29日にお会いして、じっくりとお話を聞いてきました。山井さんは、NHKの大河ドラマ「真田丸」や「江姫」などでの振り付けもされた方です。江姫のオープニングでの上野樹里さんが手を合わせて舞いをす終える振り付けといえば、覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

           

          多分殆どの人は、普通、能楽を見たことは一回あるかないかでしょう。正直に言って、筆者もそうでした。能楽とは縁遠い生活を送ってきた人生でした。しかし、山井さんにお話を伺うと、能に抱いていた精神的なハードルを取り除いてくれました。今回、山井さんは、全く能楽に触れたことのない、所謂、初心者にも分かるように、説明していただきました。

          山井綱雄

           

          能楽は、マインドフルネス

           

          人間には、人間らしく生きるために必要なものがあると思います。医療が発達して寿命が延びていますが、こころを見つめ直しリフレッシュさせることが、現代では、置き去りになってしまっています。

           

          「高砂」という演目があるのですが、主人公は住吉大社の神様のことです。能楽の中でも古い様式のものです。高砂は、ストーリーやドラマ性を楽しむものではありません。しかし、見終わった後に、モヤモヤ悩んでいたことやストレスがスッキリし、心が洗われるような感覚を感じていただけます。

           

          能にはそういう作用があります。それが、他の芸術との決定的な違いです。これは能のルーツが神様や仏様に捧げるものであったというところにリンクしています。もちろん、能は新興宗教ではありません。遙か古からの人々の祈り、シャーマニズム原始宗教から繋がっているというところで、結果としてそうなっているのだと思います。

           

          亡くなられたアップルのスティーブ・ジョブズやフェースブックの創始者のザッカーバーグは、日頃から座禅を組み瞑想をしている、というのは有名な話です。それは人間にとって、人間らしくいるために必要な時間だと彼らが認識していることに他なりません。今、世界の脳神経外科では、そうすることをマインドフルネスと言うそうです。能は、マインドフルネスを体験できる演劇なのです。

           

          しばらく前に、NHKを見ていた時、日本の脳神経外科の第一人者の教授が、「公園などを散歩して、難しいことなど考えずに、景色を楽しみ、風や空の美しさを感じるだけで、それで十分マインドフルネスなのです。」と、仰っていました。その番組の最後に、その先生が、「日本には昔からマインドフルネスが存在していました。能やお茶など、あれはまさにマインドフルネスです。しかし現代の日本人はそういう事を忘れてしまっているのです。」と話されました。わたしは「やっぱりな」と、手をたたいて納得しました。能を知らない方が、たとえ舞台でやっていることが、全て理解できなくても、見終わった後に、なんとなく心がスッキリする・・・能にはそういった心を浄化する作用があります。

           

           

          能は周りに迷惑をかけなければ、居眠りしても良い

           

          そもそも能は眠くなるようにできています。夢現(うつつ)の世界を具現化していて、一種の催眠状態にするため、笛も地謡というコーラス隊も耳に聞こえない音をたくさん出している、と解明されています。出演している人もアルファ波が出てトランス状態になり、そういうのが客席にも伝わり眠くなります。実は舞台で、後見の人や地謡(コーラス)をしている人も眠くなります。眠くなってはいけない、ということはありません。

           

          ある観客の方は、居眠りをしながらふと目を開けた時に、「ああ、能をやっているな」と舞台を見て、夢うつつを味わいながら、こっくりこっくりするのが至福の時間だと言われます。また、あるお客様によると、「不眠症の方は能を見ると一発で効く、よく眠れる。」と言います。「能楽堂に寝に行きましょう」などと言って、他の方を誘ってくださる方も実際にいます(笑)。必ず最後まで起きて見なければならない、というのは現代人の考え方です。ひとつの瞑想状態で、普段とは違う波動や空間に身を置くことができます。まさに能は異空間なのです。

           

           

          能は「間」の芸術です

           

          その異空間というのがお茶室にもつながります。お茶、能、禅、この3つは中世の時代に、密接に関わっており、その根本精神は一緒です。その根底の概念には、そういった「目にみえない何か」というものに、日本人のこころが存在しています。「目に見えない何か」というものに対して畏敬の念を持ち、「目に見えない何か」が大切だ、と考える感覚です。それが、「間」と言われています。まさに能は「間」の芸術です。「間」が抜けると“間抜け”なのです。「間」は何も無いのだけれど、決して無いわけではなく、そこに大きな意味があります。能の音楽では、音を出していない無声、無音の瞬間、空間である「間」を大切にしています。

           

          日本の古典文化にも言えることですが、能の舞台では余白を大事にします。シテ(主役)、ワキ(脇役)、囃子方(笛、小鼓、大鼓、太鼓)がいてあとは何もありません。例えば雪が降ってきた、という設定でも雪は降らせませんし、赤々と山が夕日に染まるシーンでも、赤い照明を使うこともありません。シテが、舞台にポツンといて、周りに余白がたくさんあります。そこから先は見ている人の「想像力」が大切なのです。

           

          このことを私は、よく絵画に例えます。西洋画は写真のように写実的でカラフルであるのに対し、水墨画は墨で書かれていて何もない空間があります。それは書も同じで、墨の濃淡と余白があります。その余白を大事にしています。そこは見ている人の想像力で埋めることによって、いかようにも見ることも描くこともできます。つまり、いかようにも解釈して良い余地を残しています。能もそうなのです。何もない部分は、見ている人の想像力で埋めてもらい、どう解釈していただいても構いません、という余白をわざと残しているのです。

           

          例えば、能の「羽衣」という演目を鑑賞いただき、「三保の松原の景色はどんなでしたか?その絵を描いてください」と言うと、当然人によって違う絵が出来上がります。能はそれで構わないと思うのです。全てが正解なのです。また同じ羽衣を見るにしても、5年後、10年後、30年後・・・と見る方の年代、年齢、人生経験でも捉え方が違ってきます。それで良いのです。しかし、歌舞伎や現代劇ですと海岸、空、山、それらの色、形、全てが舞台装置や照明などで指定されています。

           

           

          能舞台こそが異空間

           

          能の舞台というのは、今でいうスピリチュアルな世界です。お正月だと上方に「しめ縄」を張ったりします。「結界」であるという意識の表れです。能の舞台に上がるには、必ず足袋を履かなくてはいけません。能の舞台の四本柱は、ただ単に屋根を支えるためでなくて、異質な世界、客席からは立ち入れない世界であることを区別するためにあるのです。

          金剛流能楽堂

          (能舞台は全て、四本の柱で囲まれている。)

           

          五色の幕は、一説には陰陽五行からきていると言われています。「木火土金水」です。あの五色の幕の向こうにある異次元の世界から、シテ(主役)は橋を渡ってきます。長い花道のような廊下は、「橋掛り(はしがかり)」といいます。古い能では、舞台から、五色の幕に向かって、少し傾斜しています。黄泉の国といいますか、異界を表しているのです。「能面」という仮面をつけているのは人間ではないものを表しています。能が表現しているのは、人間ではない異次元の世界なのです。

           

          久良岐能舞台

          (久良岐能舞台の橋掛り)

           

          ところで、余談になりますが、五色の幕の裏には、「鏡の間」という部屋があって、シテはそこで精神集中します。「鏡の間」には巨大な三面鏡があります。その前に座れるのは能のシテだけです。その鏡の前で、役を憑依させるのです。昔は、家元というリーダーだけがシテをやることになっていました。シテが舞台に出る時は、周りの能楽師は正座して送り出します。又、シテが戻ってくる時は後見が平伏して迎えます。しかし、現代では、経験の少ない若手でも、シテをやることがあります。そんな場合でも、全員、家元も長老も、正座して送り出し、そして出迎えます。能におけるシテというのは、そういう特別な存在なのです。

           

          能舞台は、正式には北向きに建てられています。神様が北に存在していて、南を向いていらっしゃる、という考え方です。また、神様は目の前ではなく、正面席のお客さんの後ろのほう、にいてご覧になられているという考え方もあります。中世の時代になると、足利義満以降の天下人は、能を、権威付けに使っていたと言われています。

           

          豊臣秀吉や徳川家康など以降の将軍や大名たちは、能舞台正面の後ろに鎮座して能を見物していました。特に秀吉は天下人になり、自ら能のシテを勤めてたりして、能を権威付けに利用したと言われています。

           

          第一編は、ここまでです。第二編では、経験のない人が能を見るにはどうしたら良いのか、そして、能を習うにはどうすれば良いのかを聞いてみました。第二篇は、一週間後にリリースします。

           

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            書道 ] 「今をえがく書 かながわ」を見てきました。


            JUGEMテーマ:書道

             

            横浜駅東口にあるSOGO百貨店の6階で開催されている

            「今をえがく書 かながわ」を見てきた。

             

            日曜日ということもあって、それなりに人が訪れてきていた。

            想像していたのは高齢者ばかりが訪れるかと思っていたが、驚いたことは年齢層の多様化。

            若い高校生ぐらいの観客もそれなりに多かった。

             

             

            この企画は間二日書道展第70回記念で、各地を巡回するらしい。

            70回といえば、初回は、戦後すぐ。

            毎日展は書道では、最高峰の書道展ときく。

            さすがに、新聞社の学芸部、文化部が力を入れているだけあって、

            出品している作品数も274点を超えている。

             

            各都道府県、新聞社、そして大きな百貨店が積極的に協力しているだけあって、

            書道に関しては、同じ日本古来からの芸術でも、社会に根付いている気がする。

            流派のピラミッドという古くからの集金システムへの批判もあるだろうが、

            こういう形で、若い人が参加しているのを見ると、

            それなりにワークしていると思う。

             

             

            又、そごう横浜とJRをつなぐ広場では、書道のパフォーマンスがあった。

            数年前に、「書道ガールズ!!!私たちの甲子園」という成海璃子主演の映画を見たが、

            映画になるような意外な新鮮さが書道にはあるのかもしれない。


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              [ - ] 企業の中の国内派と海外派


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              前回、日本の歴史は、鎖国と開国の繰り返しであると説明したが、

              その二つの流れは、企業の中にも存在している。

              それが、国内派と海外派(国際派)である。

              例えば、自動車会社を例にとってみればわかる。

              国内でのビジネスは、工場での生産から、販売店での販売。

              それを統括する取締役がいる。

              この部門は、一定の利益をコンスタントに稼ぎ出し、強い影響力を持っている。

              ただ、少子高齢化の影響で、国内でのビジネスには天井が段々と低くなってくる。

              彼らの仕事は、お得意さん廻り、労務管理、工場での生産など決して派手なものではない。

              格好よくはないが、稼いでいる集団になる。

               

              一方、海外での輸出を中心とした販売網の拡充をしていたが、

              そこから、海外での生産に踏み切ってきた。

              今では、その海外ビジネスが自動車会社の利益の源泉となっている。

              当然、そこには、人員が投入されていく。

              英語の問題、文化の問題、法律の問題など、海外ビジネスは簡単ではない。

              そこに、携わる人間は、一朝一夕では作れない。

              そうすると、海外に専従するスタッフが増えてくる。

              今まで、国内でやってきた派手ではない泥臭い仕事を海外でやるのだから、

              彼らの苦労は大変である。

              その甲斐あって、今は、それが自動車会社の利益の大半を稼ぐようになっている。

              そして、アメリカの次は中国、更に、インド、アフリカと市場は広がっている。

              その専従してきた集団が、海外派となる。

              既に、いくつかの会社では、売上げも利益も海外が国内を圧倒している。

              そうなると戦略も、社内人事も海外派が握ってくる。

               

              こうして、二つの国内派、海外派という派閥に近い勢力争いが起こる。

              このような二つの流れが生じているのは、まさに、日本の歴史の縮図である。

              彩社は、商社、銀行、電機や自動車会社のような大企業だけだったが、

              今は、それが、中小の部品各社にも波及している。

              とにかく、親会社のトヨタや日産が海外に出たら、

              部品各社も出ざるをえない。

               

              民間は、そういう形で海外に出ていく開国をしているが、

              それでは、官公庁はどうであろう。

              霞が関の人たちは、圧倒的に国内派が多い。

              外務省以外で、海外赴任をするのは、エリートの留学か、NY,ロンドンなどの拠点だけ。

              話題を振りまいている財務省などでも同じである。

              国内派が圧倒的に強い霞が関と、海外に出ざるを得ない民間企業の間には、

              日本の歴史が持っている尊王攘夷と開国佐幕のスティグマが発生するのだ。

              国際的な動きに全く無知無関心の政策立案者が、

              民間企業のブレーキになっているケースが多い。

               

              この話は、和紙となんの関係があるのかと思われる読者もいるかもしれないが、

              これを理解しないで、和紙に将来は無いと思っている。

              市場は、海外にこそあるのだ。

               

              その話に進む前に、次回は、日本の政治家の中にある国内派と海外派(国際派)を考えてみたい。

               

               


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                [ - ] 開国か鎖国か?日本の歴史。


                JUGEMテーマ:日記・一般

                日本の歴史というのは、開国と鎖国の繰り返しというのが持論。

                 

                遣隋使を送った聖徳太子の時代からしばらく開国の時代だったが、

                推古天皇の時代は、白村江の戦いをする鎖国。

                奈良時代から、平安時代中期に遣唐使が廃止されるまでは、

                超開国の時代だった。

                それから、日本は、平清盛が宋との貿易で栄えるまで鎖国。

                そして、鎌倉時代後期から長い鎖国の時代。

                安土桃山で一気に開国に進んだが、ご存知のように、

                徳川幕府は270年も鎖国をしてしまった。。。

                明治維新は、文明開化、日本が西洋列強に負けないようにと開国に進む。

                しかし、昭和初期の第二次大戦で負けるまで、外国は敵。

                 

                昭和20年に敗戦を迎えて、マッカーサーと共に、一気に開国せざるをえなかった。

                そして、そのまま、日本が国際社会の大切な一員として努力をしたが、

                どっこい、そうはさせないという尊王攘夷思想は、日本に残ってしまった。

                1990年のバブル崩壊とともに、日本は、内向きに向かった。

                そして、政治の主流を占めている勢力は、憲法改正を訴える。

                日本人は、憲法を自分で作るべきだという。

                 

                さて、日本の鎖国の時代というのは、基本的に、戦争の時代。

                海外に戦争をしかけた時代もあれば、国内での戦国時代。

                唯一、江戸時代の鎖国は違って見えるが、国内に吹き荒れたのは農民への圧政。

                今の、北朝鮮の将軍様より酷かったのではないだろうか。

                 

                一方、開国の時代というのは、明るさが満ちている。

                仏典を取り入れて、民を幸福にしようとした遣隋使、遣唐使。

                貴族政治に風穴を開けた平清盛、

                安土桃山は、ヨーロッパの科学、文明が雪崩をうって日本に入った時代だった。

                それと同じことが明治維新、太平洋戦争敗戦後の日本だった。

                 

                さて、今、この現代はどちらなのだろう。

                私たちは、開国の中にいるのか、鎖国の始まりにいるのか?

                日本人の留学生は減少一途。英語力は、北朝鮮並み。

                一方、海外から日本を訪れた人は3000万人に迫っている。


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                  [ - ] さて、貴方の生活は?


                  若い頃にこういうジョークを聞いた。

                   

                  世界で一番良い暮らしは、

                   

                  アメリカの住宅に住んで、

                  イギリス人の趣味と

                  フランス人の食事を楽しんで、

                  日本人の奥さんを持つこと。

                   

                  ただ、それが、ひとつ狂うと、

                   

                  日本の住宅に住んで、

                  イギリス人の食事をして、

                  フランス人の趣味を持って、

                  アメリカ人の奥さんを持つ

                   

                  それくらい、日本人の住宅事情は悪いけれど、女性は従順で、

                  イギリス人の趣味は多彩だが、食事は不味くて

                  フランス人の食事は美味しいが、趣味といえるようなものはないぐらい退屈で、

                  アメリカ女性は、すぐに離婚だと騒ぐというのをからかったジョーク。

                   

                  JUGEMテーマ:日記・一般


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                    [ - ] 和と洋どちらがお好き?


                    和と洋の違いを楽しむことができるのは、日本の良さの一つ。

                     

                    和食   洋食

                    和室   洋室

                    和菓子  洋菓子

                    和服   洋服

                    和式   洋式

                    和裁   洋裁

                    和紙   洋紙

                    邦楽   洋楽

                    邦画   洋画

                    日本酒  洋酒

                    日本茶  紅茶

                     

                    基本的に、和の物が好きになるのは、ある程度年齢がいってからで、

                    若い人は、洋の物が好きなことが多い。

                    和食、和室、和菓子などがその典型だろう。

                     

                    ただ、その中で、洋が絶対に和より優れているのはトイレ。

                    和式の便器は、もはや高齢者でも使わないようにしている。

                    レストランなどでも和式トイレのある所には、リピーターが少ない。

                     

                    和が洋に押されているのは、その機能性が、現代社会に合っていないケースが多い。

                    和服しかり、又、和紙しかり。

                    紙を印刷して大量に消費するものと考えれば、和紙は洋紙には、太刀打ちできない。

                     

                    そして、そういった現代の生活様式に合っていないということで、

                    消えていきそうなものが、日本には多い。

                    でも、本当にこれで良いのかという見直しが行われているのも事実。

                    生活は機能性だけで済むことではない。

                    そういう動きは、逆に、海外から起こっている。

                     

                    和食の見直し。

                    障子のある空間、和紙を使った行灯の柔らかい光、

                    FUTONを毛布に代わって使っている人もいる。

                     

                    日本人は、和の文化をもう少し大切にしたらどうだろうと思う。

                    この国が何世紀にもわたって育んできたものには、もっと価値があるのでは。

                    洋室にカーテンではなく、障子を使ってみたら。

                    電気スタンドや、天井からの直接光ではなく、和の灯りを入れてみたら。

                    油絵ではなく、書を飾ってみたら。

                    オペラではなく、能楽を見にいってみたら。

                    ケーキに紅茶も大好きだが、たまには、抹茶に和菓子は如何。

                     

                    そんな生活様式を簡単に手に入れることができるのは、日本に住む人たちだけかも。

                    JUGEMテーマ:日記・一般

                     

                     

                     

                     

                     


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