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インタビュー ] 内藤恒雄=駿河半紙の生産者


インタビュー 第三弾は、静岡県富士宮市の手漉き和紙の生産者の内藤恒雄さんです。

内藤さんの和紙は、全て天日干しで作っています。板干し、天日干しの和紙の生産者は、

日本でも、あまりおられないとのことです。。

 

内藤さんは、東京の下町の出身。学生時代には、カナダにホームステイ留学をされ、

帰国してからは、一般的な意味での就職をせずに、

和紙の生産者となる道を選ばれたというキャリアをお持ちです。

 

富士宮市の富士山の見える田園地帯に工房を構えて、独立されてから既に40年。

実家が紙屋さんでもなく、紙の生産者でもなく、突然、和紙の世界に飛び込んで、

生産から販売まで全て、ご自身で開拓されたということです。

内藤さんの工房を訪れたのは、実は、二回目。今回も、大変お元気でした。

 

 

 

内藤さん作られているタペストリー。

 

 

質問:和紙の世界に入られた経緯を教えてください。

 

大学では法科だったのですが、サラリーマンになるつもりはなかったですね。

所謂、いい子ちゃんではなかったです。自分が好きだったことはしっかりとやったけれど、

興味の無いことは、一切しなかった。例えば、高校でも代数は好きだからクラスで一番だったけれど、

他のことは興味が無いのでやらなかったので、総合ではいつもクラスではペケから二番目。

そんな職人気質的なところはありました。

 

学生時代に、カナダに留学しました。カナダから帰ってきてから、

たまたま見ていたテレビ番組の日本の匠シリーズが、

重要無形文化財として手漉き和紙を紹介していたんです。

それを見て、これは面白そうだと感じたのです。

その放映したテレビ局のディレクターに、

自分もああいう匠たちのような仕事を、卒業したらやっていきたいのだけれどと、

押しかけて、話を聞きにいったところ、その方のコンタクトで、

所管の文化庁の方を紹介してくれました。

ご縁なのですよね。その、文化庁の技官の方が大変親切な方で、夕方、特別に時間を取ってくれて、

喫茶店で話をしてくれました。 そして、重要無形文化財のことを、詳しく教えてくれました。

ちょうど、手漉き和紙がその当時、一番新しく重要無形文化財に認定されたのです。

 

その方のおかげで、その後、島根県の松江の安部さん、石州半紙の久保田さん、

福井の越前和紙、岐阜の美濃和紙などを訪ねていきました。

そして、石州の久保田さんに奨められて、

大学卒業してから、埼玉の小川和紙で手漉き和紙の講習生を一年やりました。

まさに、ゼロからの出発でした。そういった訳で、一切、サラリーマンはしていないです。

 

質問:生活は大変だったのでは。

それが、そういうことには割と、無頓着でした。食えりゃいいぐらいって気持ちです。

それに田舎に暮らすと、野菜を朝に、貰ったりして。実家が寺だったせいかもあるかもしれません。

この仕事に従事できたのは、そういうところがあるのかもしれません。

 

質問:なぜ、こちらの駿河地域を選ばれたのですか?

最初は、奥多摩の桧原村も考えたのですが、あそこは峡谷ですので、日照時間が短い。

自分は、当時から、天日干しで和紙を製作するつもりだったので、日照時間は譲れないものでした。

それに、都心から2時間半もかかるし、営業も自分でしなければならなかったので、

もう少し都心へのアクセスの良い所を探しました。

 

そして、静岡県に落ち着いたのは、

日照時間も長く、富士の伏流水という清水に恵まれたこの地に落ち着きました。

それが昭和51年(1976年)ですから、今から40年前です。よくやれたと思います。

ここは、ご覧のように、日当たりが一日を通してあり、富士山という特別な存在と共存している地です。

ですから、ここは富士、良質の水、日照と三拍子揃ったところです。

それに、新幹線で新富士駅もできたし、東名高速も近い。

独立したら営業も自分でやるので、交通の便の良いここは良いロケーションです。

 

 

(工房の近く、富士宮市の田園地帯から富士山を見る)

 

 

質問:新規参入されたご苦労は?

当時も今も、和紙の生産というのは、問屋が生産を仕切っているような世界でした。

問屋は、無名で新入りの私を、古くからある生産者と対等には、なかなか扱ってくれないわけです。

結局、価格にしわ寄せがくるわけです。要は、安く売らないと買ってくれないわけです。

更に、問屋だけが、生産者と最終需要家の両方に話が通じるのです。それで、苦労した結果、

自分から直接、最終需要家を開拓したのです。ですから、今でも私の紙を買ってくれるのは、

芸術家なり、最終需要家です。また、私も、彼らがどんな紙が欲しいか、どの程度のにじみが欲しいかなど、

直接話をきけるわけです。問屋が入ると、そこのところがよく分からないまま、作ってしまうわけです。

手漉き和紙に関心があって手漉き和紙を使うアーティストを自分で探しました。

作家の方は、作り方は分からないです。

そういう意味では、生産者とアーティスト両方にウィンウィンになったわけです。

(内藤さんが、墨を入れて処理した和紙)

 

日本の中では、時間的な距離と地理的の距離が縮まっていますね。

流通の革命のおかげです。これからの産品というのは、そういう中で、

日本独自でしかできない、世界に誇れる手仕事ということを考えてやってきています。

にとっては、板干しと天日干しは譲れないところです。

 

 

ヨーロッパでは割と、手漉き和紙の将来、手漉き和紙が無くなるということについて、

危惧しておられる方が多いような気がします。

例えば、いわゆる認定者という人間国宝というのは、個人で3人しかいません。

だから、2014年のユネスコの無形文化遺産の指定はグループでという形になっています。

石州紙、本美濃紙、細川紙です。個人ではない。総合指定ですね。

それでも石州は10軒だったのがもう半分になっています。

本美濃は、少し盛り返しているようですね。

小川の細川紙は、最近は、移住者が入ってきています。

そのせいか、小川の人が私のところに聞きにきたりします。

 

 

 

質問: 天日干しをやっているのは、日本で他にあるのですか?

あまり、聞かないですね。大切なのは、まず、板干しです。陰干しです。

天日干しというのは、それからですね。天気に作用されるものです。

鉄板乾燥だと、楮紙などは、ケバタチが気になるものですが、

板干ししてから天日干しというのは、ツルツルとした感触があります。

 

陰干しで、板に、水を吸い取らせます。そして、干せるまで待つ。

天気によります。それで、天日干しにしても、片側を乾かすと、

反対側が冷えてしまうんです。だから、一回、乾いたら、剥がして、又、乾かす。

パリッと乾いた時だと、取り易い。そこいら辺は、やってる人間でないと分からない。

そして、自分の場合は板の数だけしか作れない。

 

(板干し用の板が大量に工房に置いてある。)

 

質問:ドイツ講演のお話を聞かせてください。

昨年の秋に、ドイツのベルリン技術博物館の招請を受け、

「日本の優れた手漉き和紙技術」の実演と講演をしてきました。

今回は、駿河半紙技術研究会から、助成して頂きました。前回は、2000年でしたが、

博物館のゲストハウスを利用させて頂きましたが、それは今回も同じでした。

今回は、2週間の旅でした。ドイツは、日本人と共通するところがあるのでしょうね。

私は、ドイツにお邪魔させていただいたのは、今回が三回目なのです。

長旅でしたが、行って、すごく良かったです。全て、ご縁のものなのです。

 

(駿河半紙技術研究会の会報紙)

 

今回、たっぷりと、仕事をさせられました。

ワークショップとか講演会では200名も集まりました。

普段、そんなに集まることはないようです。

すごい盛況だったと主催者の方が言ってくれました。

 

向こうでは、用具とか素材とか何でもあります。

用具は、お世話になったガンゴルフさんが日本から持って帰ったものです。

素材は、ネパール産とかタイ産の楮とかですけれどね。

ドイツでは、手漉き和紙を作っている方が3名いるようです。

今回もお世話になったガンゴルフさんと、ボンだかケルンだかに、アメリカ人の方、

そしてもう一人おられるです。そういう意味では、需要が少ないのでしょう。

 

なんだかんだ言っても、日本は、平成五年には440軒、平成十五年には300軒、

平成二十五年には160軒の和紙生産者がいます。

しかし、10年ずつ140軒減っているんです。このままだと、平成35年には、

何軒になっているのでしょうね。それに、生産が減れば、原料の楮を作る人も減ります。

そいう点では、危惧しています。ですから、もっと、手漉き和紙を使ってもらわないと。

芸術家だけでなく、需要家を拡げる啓蒙努力をしないといけないのだと思います。

海外からの研修生も受け入れています。

画家が紙から作るところからやっていきたいという人もいます。

 

(楮の葉、この木がグングンと成長する。)

 

例えば、コンサベーション(修復)に使用する和紙については、

ヨーロッパでは、手漉き和紙でなくていいみたいですね。機械漉きでいいみたいです。

長さ、値段の問題なのかな。手漉きは一枚一枚別になるけれど、

修復用は長さがあった方が良いというのな。

私は、情緒的には、ちょっと違うかなと思いますけれどね。

私には、手漉きが一番ですけれどね。ヨーロッパでは、手漉き和紙の需要が少なくて、

ロットが20枚とか30枚ぐらいなので、生産者は大変そうです。

 

 

質問: 内藤さんの紙に対しての思いは?

紙というのは、使う人によって、欲しいものが違うのですよ。

版画をやっている方なんかでは、うちのはパルプを使っていないから使えないという人もいるんですよ。

滲みを避けたいのでしょうね。しかし、パルプを入れると美しさは消えます。

三椏を入れるときれいになります。一番は、用途だけれど、二番には、美しさですね。

 

三椏なんか、全然違います。原料が安いというので、

東南アジアとか中国の三椏を使わないかとよく言われますが、外国産のは粗いですね。

煮る前から分かります。商社に奨められて、試作で使ったことはありますけれど、

かえって手間ひまがかかります。原料費よりも、時間のコストの方がかかりますからね。

だから、私は、100%日本のものを使います。契約栽培をしてもらっています。

 

 

皮の製造ですが、木の皮には白と黒があります。

黒のまま使うことっていうのはあまりないから。白にする。

三椏ではそれをぼてといいます。ぼてしじりという言葉があるのですが、

樹皮を柔らかくしないということです。

三椏では、干している間に、汚れが出てくる。それをなんとかしないといけない。

 

 

 

 

自分にとって大事なのは、質の良い物を作るということと、効率よく作るということです。

自分はシステム化が好き。仕事のスケジュールをどういう風に組むか?

どうやって、無駄をなくすか?

受けた仕事は必ずこなすので、無駄をなくすというのは大変なことです。

そういったことを考えていれば、認知症にはならないかな。

又、こういう取材を受けていれば、如何に説明するかということを考えます。

 

紙を作るということは私の中では一つの美術です。

生きていくには、売上げはないといけないけれど、

自分としては、紙を作るということはGOD(神)を作ることだと思っています。(笑)

ま、自分を高めるということです。

そういう意味で、ドイツに12時間かけて行くというのも、意味があります。

 

(不二の紙 顔料シリーズ)

インタビューアーからの一言

内藤さんと話していると、人に歴史ありと感じる。

ある面で紙の生産者というのは、家業を受け継いでやってきた人が殆ど。

だから、生産だけ考えていれば良かった。しかし、内藤さんは、学生から、

直接、この世界に飛び込んだので、

生産、営業、販売、アーティストとのコミュニケーションなど、全てゼロから立ち上げたわけである。

内藤さんには、それが困難であったとしても、自分で道を見つけていく努力と工夫、そして勇気があったのでしょう。

 

 

ユネスコの無形文化遺産に登録された石州、本美濃、小川の三か所を若い時、

この仕事を始める前に廻ったというのも凄い。

内藤さんを自然にその流れに導いたのは、初対面でも、相当親切に、

話をしてくれた文化庁の技官だったのかもしれないし、

テレビのディレクターだったのかもしれない。

それが、内藤さんのいう縁というものなのだろう。

インタビューの間に何回か、ご縁という言葉を使っておられた。

実家がお寺だったので、特に、縁というものを感じるのだと思うと、話しておられたのが印象的だった。

 

インタビューアーの現在の実力では、

まだまだ内藤さんから和紙の製作の本質のところに迫れないもどかしさを感じた。

次回には、もう少し力をつけて、もっと面白い話を聞き出したいと思う。

内藤さん、その節は宜しくお願いいたします。

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