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    インタビュー ] 大石雅子さん(広島県和紙商会・大竹和紙鯉のぼり絵師):前編


    大石 雅子(おおいし・のりこ)さん

    大竹市というのは、広島県の西のはずれ、山口県の岩国市に隣接する市である。

    そこに、大竹和紙という和紙の生産地がある。九月上旬に、鯉のぼりを和紙で作られている

    大石雅子さんという方を訪ねてインタビューする機会に恵まれた。

    戦前戦後の大竹和紙の歴史、和紙で鯉のぼりを製作する苦労、又、原爆の日のことなど、

    実に興味深いお話を聞かせていただいた。

     

    大石 雅子さん

    大石 雅子さん

    大石さんは、1932年(昭和7年)生まれ、現在、85歳になられている。全く、年齢を感じさせない、大変に元気な方である。実際、大竹和紙の仕事に従事し始めたのは、1952年(昭和27年)からとのこと。大石さんのお話では、現在、大竹和紙を生業として生産している方は、もういないとのこと。1993年にお亡くなりになったご主人と、その遺志を酌んだ会社の従業員の方が大竹和紙の保存会を作られ、その保存会が、現在、手漉き和紙の製法に基づいて、週に3日ぐらい作っているそうだ。大竹和紙の存続は、ある意味、風前の灯だ。大石さんは、その和紙を使って、年間120匹ぐらいの鯉のぼりの鯉を製作されている。

    大竹和紙の衰退

    「元々は、毛利輝元や吉川元春が専売制を取り入れて、この地に、紙を作らせたのです。田んぼがうまくいかなかったからだそうです。それが大竹和紙の始まりだそうです。毛利元就は、その前に、庄原の方で和紙を作らせていたようです。
    戦前には、2000軒近い手漉き和紙の生産者がいたそうです。昭和21年には、手漉き和紙商工業協同組合というのができました。広島県では、最も和紙生産が多かった大竹に本拠が置かれました。


    しかし、戦後、工業地帯が海岸にでき、水が工業用水に吸い上げられてしまいました。それに、山側の方では、ダムができて、山の方の生産者が立ち退きになってしまいました。

    この写真は、戦前の楮を川で晒す作業に従事している人たちを映したものです。」

    戦前、楮を川で晒す作業に従事する人

    「しかし、戦後、工業地帯が海岸にでき、水が工業用水に吸い上げられてしまいました。それに、山側の方では、ダムができて、山の方の生産者が立ち退きになってしまいました。

    それが、大竹の和紙の衰退の始まりだと思います。その後は、和紙が洋紙にコスト面で勝てなかったり、住宅事情が変わったりで、和紙の生産者の高齢化と相まって、どんどん衰退してしまいました。」

    和紙の鯉のぼり

    和紙の鯉のぼり

     

    「私は、1952年から結婚して、その協同組合で事務の仕事をしていました。当時既に、手漉きをやっておられた家は60軒ぐらいに減っていたでしょうか。
    当時は、まだ、技術を持っている人が何人もいました。しかし、高齢でだんだんとそういう人もいなくなりました。協同組合は1969年に解散しました。その後、亡くなった主人は、手漉きの道具などを買い入れて、保存会を作りました。手漉き、そして楮などの生産も保存会がやってきています。現在は、週に3日ほど作っています。

     

    私自身は、1964年に当時の理事長より鯉のぼりの仕事を引き継ぎました。その理事長さんが亡くなってしまい、理事長さんのご家族も和紙の鯉のぼりをしないというので、私がやってもいいですかと伺って、始めました。女学校の頃から、先生から美大に行かないかと言われていて、絵を画くことは好きだったので、やってみようと思いました。とにかく、紙を漉いたら、加工もしないとダメだと思っていました。 私自身は、紙を漉くことはしません。

     

    6年ぐらい前から、広島市の方から来て、手伝ってくれる方がいます。元々は、東京の人なのですが、広島のお母さんのところに戻ってきて、私の鯉のぼりの仕事を手伝ってくれています。又、保存会の方も大竹の人ではない人が手伝いに来てくれます。大竹では、手漉きで生産に従事している人も、和紙で加工する人も、私以外にはいません。ある面では、経験のない人たちが支えてくれています。例えば、原料となる楮(こうぞ)も、高さ2mぐらいなるのですが、“めかき”をする人がいなくなってしまいました。枝が、まっすぐに伸びるように揃えることを“めかき”といいます。めかきをしないと、枝が曲がってしまいます。幸い、ボランティアの人が、岩国や五日市の方からも来てくれて、めかきをやってくれています。本当にありがたいことです。」

     

    大竹和紙の鯉のぼりについての説明

    大竹和紙の鯉のぼりについての説明

     

    「保存会では、漉くとか、煮るとかの作業もやっています。できてきた紙の厚さを仕訳する人がいないので、それは、私がやっています。一回に70枚から100枚ぐらいの紙を保存会が作っています。乾燥機などは、主人が、昔、生産を辞められるかたから買って、保存会に寄付しました。

     

    保存会では、和紙の販売などはしていません。市と協力して、お習字の教書会などで使っています。大竹全盛の頃は、障子紙が多かったです。しかし、今は、障子のサイズが多様化してしまって、障子には使っていません。」

     

    [ 後編は10月1日 更新予定です。お楽しみに!]

    コメント
    和紙の鯉のぼりは初めて知りました。鯉のぼりの
    ような伝統と風習自体継続が困難なことはとても
    残念ですね。今も製作をしている人の写真が生き
    生きと輝いているのが胸をうちます。
    • T.nagasawa
    • 2017/10/03 1:05 AM
    T.nagasawaさん

    僕も、和紙の鯉のぼりがあることは全くしりませんでした。紙でできているだけに、風の音がはためく音が聞こえてきそうです。

    文化の中には、残るものと消えていくものがあるのはしょうがないです。しかし、大石さんのように、今、元気におやりになっている方がいるのは、嬉しい限りです。
    • よっしー
    • 2017/10/04 9:55 AM
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