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    当ブログについて ] 過去はもう戻ってこない。


    「チーズはどこへ消えた」という本があった。

    正確に覚えてはいないが、持っていたチーズを求めて、いつまでも動けない人間と、

    チーズが戻ってくるのを諦めて、新しい食料を探しにいく人間との比較を描いた童話風な話だった。

     

    ちょうど、バブルが破裂して、働いていた会社が無くなってしまった人の中で、

    「私は、XXX銀行の部長だった。」と言って、昔の栄光や給料が戻ってくるのを待っていた人。

    「もう会社が潰れたのならしょうがない。何でも良いから新しいことを始めなくては。」と、切り替えていった人。

    今世紀の始まりは、そんな人たちが交錯していた時代だった。

     

    人間、過去の栄光を持った者ほど、新しいことができなくなるケースが多い。

    いや、栄光というより、過去への執着というべきかもしれない。

    有名大学出身、実家の名声、優良会社就職、そういった過去への執着。

    しかし、

    過去はもう戻ってこない。

    未来はまだ来ない。

    だから、今を大切に生きろというのは、言うは易いが、実際、持っているものを捨てるのは精神的な抵抗が多い。

    一方、断捨離名人は、捨てることに躊躇しない。

    うちの家内など、ちょっとでも使っていない物を見つけると、捨てる。捨てる。捨てる。

    捨てることが、無上に、嬉しいらしい。

     

    会社の経営にしてもそうだ。

     

    イーストマン・コダックという、世界一のフィルム会社があった。

    しかし、デジカメの登場と共に、フィルムの需要は無くなった。

    そして、イーストマン・コダックは2012年に連邦破産法を申請した。

    一方、フィルムの生産でそのコダックと覇権を争っていた富士フィルムは生き残った。

    デジカメを作り始め、化粧品の生産を始めた。

     

    東芝は、悪いものを捨てずに、隠していた。

    総合的な電気会社という名声が、事業の一部を捨てることをためらった。

    そして、テレビ、白物家電、医療機器、原子力、半導体事業を手放さざるを得なくなった。

     

    同じ事が、和紙をはじめとした、日本の文化にも言えるのではないだろうか?

    新しい需要を創り出す、見つけにいく、そういう努力を間断なく続けたものだけが、生き残っていく。

    去年の時点で65歳以上の高齢者は3500万人。

    今から、20年経つと、その殆どは、いなくなってしまうのが現実。

    現在の高齢者の需要や支援に支えられている文化の一部は、危機的な状態がくることになる。

    フィルムの需要がなくなって消えたコダックと同じ状態が発生していく。

    だから、過去に囚われずに、捨てるべきものは捨てる。

    そして、新しい需要を見つけにいく。

    そういう姿勢が必要なのではないかと思うのですが、如何でしょう。

     

     


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