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    旅行 ] 厳島神社


    広島にあるユネスコの世界遺産の一つが宮島にある厳島神社。

     

     

    平安末期、安芸守だった平清盛が、瀬戸内海をバックグラウンドにしており、

    この宮島に社殿を造営した。平家一門の隆盛とともに厳島神社も栄えた。

    2度の火災で清盛の建てたものは消失したが、鎌倉時代に再建造営されたもの。

     

    厳島神社に行くには、広島からJR山陽本線

    路面電車は旅情があって、時間のある方にはお奨め。

    原爆ドームから乗って行く。

     

    宮島口では、有名な「うえの」というあなご飯屋さんに行ってみた。

    なぜか、水曜日は、お弁当メニューしかないとのこと。

     

    アナゴ飯

     

    フェリーに乗って宮島に着く。文字通り、宮島という島。

    ただ、予想もしていなかったことだが、

    この日は、引き潮。

    水中にあるべき、大鳥居をはじめすべての建造物は、無残にも干上がったビーチの上。

    海の中にある写真しか見た事が無かったので、

    この事態は全くの想定外。

     

    清盛公も、宋の使者や、高倉上皇を迎えた時には、

    潮の干満に、さぞかし、心配りをしたことだろう。

     

    ちなみに、平家物語だが、作者は不明のようである。

    諸説色々あるようだ。ただ、日本で唯一の叙事詩であることは間違いない。

     

    祇園精舎の鐘の声というと琵琶法師という語り部いたとよく言われるが、

    実際はどうだったのだろう。

     

    保元・平治の乱で興隆した平家の栄耀が、

    源氏によって滅ぼされる物語だが、

    その平家を瀬戸内海に葬った義経自身も兄頼朝に滅ばされる哀しい歴史がある。

    ところで、

    平家が好きか、源氏が好きかというと、

    自分は圧倒的に平家ファンである。

    源氏には、粗暴と殺戮のイメージがある。

     

    旅から戻ってきて強く思うのは、

    今度は、満月の月の出の満ち潮の時に訪れてみたい。

    厳島神社

     

    厳島神社

     

    厳島神社厳島神社

     

     


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      インタビュー ] 永田灌櫻先生(書家・2017年毎日展 毎日賞受賞):後編


      JUGEMテーマ:書道

       

      永田灌櫻先生

      2017年、第69回毎日展の毎日賞を獲得された、書家の永田 灌櫻(ながた かんおう)先生のインタビュー。

      書道で使う紙、墨などの色々な材料を、どういう風に選んでいるかを話してもらっています。更に、書道を目指す人へのアドバイスをいただきました。お楽しみください。


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        インタビュー ] 永田灌櫻先生(書家・2017年毎日展 毎日賞受賞):中編


        JUGEMテーマ:書道

         

        永田灌櫻先生

        今年2017年、第69回毎日展の毎日賞を獲得された、書家の永田 灌櫻(ながた かんおう)先生のインタビュー、中編です。

        前編の記事を読む >>


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          インタビュー ] 永田灌櫻先生(書家・2017年毎日展 毎日賞受賞):前編


          JUGEMテーマ:書道

           

          永田灌櫻先生

          今回のインタビューは、今年2017年、第69回毎日展の毎日賞を獲得された、書家の永田 灌櫻(ながた かんおう)先生です。
          永田先生は、現在30歳という若さで、書道界の最高峰である毎日展の、大字書部門で栄誉ある毎日賞を射止めた新進気鋭の書家です。

          実際、お話を伺っていると、永田先生には、将来、日本の書道界を背負っていく人となるオーラを感じます。その一方で、笑顔が印象的な青年でもあります。
          普段聞くことのできない書家の生活、書に対する考え方、材料の選び方、プライベートなお話まで伺うことができたのは、実に幸運なことでした。

          永田灌櫻先生

          永田灌櫻先生


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            折り紙 ] オバマ大統領の折り鶴


            JUGEMテーマ:折り紙

             

            今回、広島に行って、オバマ大統領の折り鶴を実際に見る機会がありました。

             

            オバマ大統領の折り鶴

             

            「私たちは戦争の苦しみを経験しました。ともに、平和を広め核兵器のない世界を追及する勇気を持ちましょう。」

             

            オバマ大統領の折り鶴

             

            広島平和記念館は、世界中の誰もが一度は行かなければと思います。

            たった一つの爆弾が一瞬にして14万人の人の生命を奪い、残った人にも

            言い尽くせない苦しみを残したのです。

             

            広島原爆ドーム

             

            今回、びっくりしたのは、訪れた人の過半数は、

            外国人の旅行客でした。

            そして、小学校児童の遠足。

             

            広島平和祈念館

             

            こういう風にして語られて、広島の記憶が残っていくのは素晴らしいことだと思います。

             

            ただ、残念だったのは、このオバマ大統領の折り鶴は、あまり人が訪れることのない

            地下の階の廊下のようなところにあったこと。

            この折り鶴は、ある意味平和の象徴のようなものです。

            是非、二階のノーベル平和賞の人のメッセージのあるところに移して、

            もっとたくさんの人に見てもらいたいものだと思います。

             

             


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              和紙の豆知識 ] 和紙って何?


              今回、和紙の豆知識というカテゴリーを追加しました。

               

              初回は、和紙の定義についてです。

               

              和紙といっても、色々な紙があるのですが、正確な定義はありません。

               

              狭義には、

              楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)を原料に使って、

              それを煮て、さらに水で洗い、

              その植物の繊維が混ざっている水に

              にネリと呼ばれる粘材を入れます。

              その水を手漉き(てすき)して、網状のものに残ったものを干して出来上がりです。

               

              原料となる楮

               

               

               

              これが、日本に中国から伝播した製法の原型で、

              日本各地に広まりました。

               

              問題点になるのは、原料が限られており、

              楮、三椏、雁皮などを生産する生産者が激減。

              さらに、手漉きという恐ろしく時間のかかる作業をしないとできないので、

              パルプを原料として、機械で大量生産できる洋紙とコスト面で対抗できないのです。

              一枚の紙が、最終消費者に渡る時には、数百円から数千円してしまいます。

               

              そうなると、消費者もアーティスト、書家、和雑貨業者などに限られてくるわけです。

              そういった紙を使える人が限られてくるということは、

              原料の生産も尻つぼみになり、

              原料が高くなると、更にコストが上がるという悪循環になります。

              それに生産者も消費者も高齢化しているわけです。

               

              それが、洋紙という外来種に押された和紙のこの70年の歴史です。

               

              その和紙の生産の限度を克服するのに対応して生まれたのが、

              手漉きではなく、機械漉きの和紙です。

              これについては、又、次回。

               

              和紙の生産地で体験できる手漉き和紙の製法の動画です。

               

               

              https://youtu.be/jXkB9USTJRU?t=1

               

               

               

               


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                京都 ] 五山の送り火


                JUGEMテーマ:京都

                 

                京都に五山の送り火を見に行った友人からガラケーで撮った画像が届いた。

                 

                五山の送り火、とは

                東山如意ヶ嶽の「大文字」

                松ヶ崎西山・東山の「妙・法」、

                西賀茂船山の「船形」、

                金閣寺付近大北山(大文字山)の「左大文字」

                嵯峨仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山)の「鳥居形」の五つをいうそうだ。

                 

                (この画像は、京都折り紙の中の一枚。)

                 

                東山の大文字だけしか知らない人も多いという。

                お盆にあの世から帰ってきたご先祖様が、又、あの世に戻るのを送る行事だというが、

                京都でそれが発生したのはいつかは定かでないらしい。

                 

                 

                友人は、毎年、家族でこの送り火を見に行っている。

                しかし、二年前に奥さんを病気で失なってしまった。

                今は、息子さんと二人で、送り火を見に行っている。

                 

                 

                ちなみに、友人が送ってきた画像はこちら。

                かすかに、大の字が見える。

                画像が、あまり、はっきりしないよと言おうと思ったが、

                来年は、一緒に見に行って自分の目に焼き付けてこよう。

                それが、京都という街の良さなんだろう。

                五山の送り火

                 

                 

                 

                 

                 


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                  美術館 ] ベルナール・ビュフェ美術館 (静岡県


                   

                  「フランス人の画家のベルナール・ビュフェを知っているかい?」

                  「名前は聞いた事がありますが、よく知りません。」

                  「お宅のブログは、フランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」の中の

                  ブラームスはお好きのフレーズから取ったのだったら、

                  ビュフェは知っているでしょう。ビュフェは、サガンが書いた

                  毒物という本の挿絵を描いた画家です。サガンの恋人とも言われた画家ですよ。

                  そのビュフェの美術館が静岡県にありますよ。」

                   

                   

                   

                   

                  聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥!

                   

                  WIKIPEDIAによると、ビュフェとは、

                  1928年パリ生まれ。多忙の工場経営者の父のもとに生まれ、

                  父親との関係は希薄であった。心の支えであった母を10代で亡くし、

                  ひとりキャンバスに向かうことが多かった。

                  1948年、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。

                  この頃から天才画家として有名であった。

                  硬質で鋭く太い針金のような輪郭線、

                  モノトーンに近い色彩を特色とする独自の様式を築き、

                  その画面には人物の不安げな表情などとあいまって

                  第二次大戦後の作者の不安で荒涼とした心象風景が表されている。。。」

                   

                  ベルナール・ビュフェ美術館がある場所は、

                  静岡県長泉町クレマチスの丘515-57

                  新東名高速の長泉沼津インターから車で10分ぐらいの場所にある、

                  クレマチスの丘という文化的な香りのする別荘地(?)の中にある。

                  素晴らしい場所にある。

                  竹、欅、桜、紅葉に囲まれたまさに、別世界。

                  植えてある木々は四季それぞれを楽しめるように考えてある。

                   

                   

                  このベルナール・ビュフェ美術館は、日本で唯一のビュフェの作品を集めた美術館のようだ。

                  美術館だけなら入場料1000円。隣の井上靖の館の二館巡りだと1100円。

                  入場者もそんなにおらず、大きな美術館は迷路のようにセパレートされ、

                  一部の部屋にはソファも置いてあるので、ゆったりとした時間を

                  過ごしたい人にはお奨めです。

                   

                  ビュフェの作風の変化なども詳しく説明されていて、知らない人でも楽しめる。

                  説明書きが直接壁に書かれているのも、ここがビュフェに集中しているものと分かる。

                  ビュフェの絵は、黒の直線が際立つ。モノトーンでもある。

                  美術館の中には、ユトリロの多彩な絵が飾ってあり、その対比も面白い。

                   

                   

                   

                   

                  何か、パリの小さな美術館を訪れたような雰囲気がある。

                  画風からいって、好き嫌いが激しく分かれる作風だという気がするが、

                  外の井上靖の館の前に、ビュフェの言葉が埋め込まれた石板があった。

                   

                  ちょっと遠い場所だが、一日、静かな時間に浸る価値はあると思う。




                   


                   

                   


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                    京都 ] 沖田総司の恋


                    JUGEMテーマ:京都

                     

                    和紙や和雑貨に思いを巡らせていると、

                    必ず、京都という町に触れることになる。

                    いつも脱線する事が多い当ブログだが、

                    今回も、又、和紙や和雑貨から離れてしまうことをお赦し頂きたい。

                     

                    さて。日本人なら、殆どの人は、京都を数回は訪れているのではないだろうか。

                    有名な寺社仏閣を訪れる人、四条河原町をぶらつく人、祇園で遊ぶ人、

                    人それぞれのライフスタイルによって、色々な京都の思い出があるだろう。

                     

                    自分が最初に京都に触れたのは、中学生の頃にテレビでやっていた「新撰組血風録」

                    という時代劇の中だった。副長土方歳三を栗塚旭というニヒルな雰囲気の俳優が主演だった。

                    つい先ごろ、この時代劇の原作である「新撰組血風録」を読み返してみた。

                    司馬遼太郎の1964年の作品である。全部で15の短編からなる新撰組の話である。

                    一つ一つの独立した短編が、幕末の殺戮集団の個々の人間性を描いている名作である。

                    もし、読んでおられない方がいらしたら、是非、お読みすることを奨めさせていただく。

                    司馬遼太郎といえば坂本竜馬を書いた「竜馬がゆく」が有名だが、

                    竜馬と正反対に位置した無頼の徒の集まりにも、作者は、愛情を持って描いている。

                     

                     

                    この「新撰組血風録」の中でも、私が好きな話は「沖田総司の恋」である。

                    新撰組を嫌いな人間でも、沖田総司だけは好きという人も多いのではないだろうか。

                    この幕末史上最高ともいえる剣の使い手は、若くして結核(労咳)で亡くなるのだが、

                    その沖田は、今でいえばシャイな人間だったようだ。その彼は、女遊びをしたこともない。

                    池田屋の変で喀血した後に、隊に黙って、医者を訪れる。そして、そこの娘を好きになる。

                    その娘は、毎月八の日に、清水の坂下にある音羽の滝に、茶を点てる水を汲みにくる。

                    沖田は、京都の市井の人が、自分たち新撰組のことを嫌いぬいているのを知っている。

                    だから、医者にも、その娘にも自分が新撰組の隊士であることは告げていなかった。

                    そっと遠くから眺めているだけで良いと思っていた。

                    ある日、自分も八の日に、音羽の滝に来ていますと、恋の告白のようなものをして

                    しばらくしてから、自分が新撰組の隊士であることが分かってしまい、会えなくなる。

                     

                    この短編の最後を、作者の司馬遼太郎はこう結んでいる。失礼を敢えて承知で紹介させてください。

                     

                     

                    「その夕、清水山内音羽の滝へ沖田はひとりで行った。

                    掛茶屋はすでに、戸をおろしている。

                    陽が落ちた。

                    沖田はなお、滝のそばにいた。一夜待っても思うひとは来ないだろう。

                    きょうは、八の日ではない。それでも、沖田は滝のそばにしゃがんでいた。

                    しぶきが、肩をぬらした。

                    本堂のあたりから日没偈の読経がきこえ、やがて懸崖の上の奥の院に灯明がともるころになっても、

                    沖田はじっとかがみ、ときどき細い滝に手をのばしては、水を皮膚に感じてみた。

                    あの娘も、こういうそぶりをした。

                    山内を回る僧の提灯が近づいてきて、沖田の横にツト足をとめた。

                    「ごくろうさまでございます」

                    と、僧は声をかけて去った。

                    滝には世参りの信徒がくる。そういうひとりだとおもったのだろう。」

                     

                    司馬遼太郎が描いたこの文章に、千年の王城の地であった京都の本質を感じることができる。

                    町のはずれの寺の境内にお茶を点てる水を汲みにいく。

                    その滝を僧侶が見回りにくる。

                    奥の院では、灯明がつき、きっと読経もされている。

                    八のつく日には、市民が水を汲みにくる。

                     

                    この風景は、京都の原風景のような気がする。

                    そこは、関東者の暴力集団の新撰組では、絶対に入り込めない。

                    文化というのは、こういう風にして作られてきたのだろう。

                    それは、単に皇室、貴族、高僧がいるのとは違う。

                     

                     

                    清水寺も三年坂もよく行くが、次回は音羽の滝を見に行こう。

                    そういう魅力が京都にはある。

                    だからこそ、京都は今でも、「和」の文化の中心として輝いているのではないだろうか?

                     

                     


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                      京都 ] 平安京のトイレ事情


                      JUGEMテーマ:京都

                       

                      今回の話題は、平安京のトイレです。

                       

                      前回紹介した、高橋昌明著 【京都〈千年の都〉の歴史】によれば、

                      平安京の、貴族のトイレは外に流れている道路側溝の水を、邸内の築地内側に木桶で引き込み、

                      邸内で生じた汚水を混ぜて、道路側溝に流していたらしい。そして、その木桶に

                      人間の排泄が行われていた。要するに、水洗式だったとのこと。

                      ただ、道路側溝の水自体は、その他の塵芥が一緒になって流されていたので、

                      汚臭はひどいものだったらしい。

                       

                      (現代京都御苑の外には、暗渠になった側溝がある。烏丸通り)

                       

                      高貴な人間は、邸内の樋殿というところで、オマルのようなものに、大小をして、

                      家人がそれを洗って、木桶で流していたらしい。

                       

                       

                      (確かに京都御所の周りには側溝がある。)

                       

                       

                      もしかして、そのような臭いから遠ざけるために、

                      寝殿造りのような建築様式が生まれたのだろうか。

                       

                      一般の人間は、道路がトイレという状態だったとのこと。

                      だから、洪水などが起こると大変だったらしい。

                      それだからこそ、道路が広げていたのだろうか?

                       

                      12世紀後半(平安時代末期)成立の「餓鬼草紙」絵巻には、

                      街頭排便の絵が残っており、尻を拭くのには、紙と捨木が使われていたとのこと。

                      なお、餓鬼草紙絵巻は、東京国立博物館と京都国立博物館にあります。

                      この画像は、チェコ好きの日記さんからお借りしました。

                      http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2014/04/01/111254

                       

                       

                      それより、気になるのは、

                      紙が、既に使われていた!!

                       

                      昭和30年代には、東京大田区の我が家のトイレの拭く紙は新聞紙であった記憶がある。

                      それが硬いちり紙に代わり、いつしか、柔らかいトイレットペーパーに代わっていった。

                      街頭には、汚わいの桶が東京でも、いたる所に置いてあった。

                      それが、いつしかバキュームカーで汲み取られるようになり、

                      いつしか、下水道に流されるようになっていった。

                      都市というものは、衛生的なものを求めて歴史の中で進化してきた。

                       

                      源氏物語な中の妖艶な恋愛も、詩歌を返すような文化の傍に、

                      当たり前のことだが、このような人間の生理的なものが同居していたと思うと不思議でならない。

                      詩歌を書いた紙と、街頭で尻を拭くのに使われていた紙も、紙という意味では同じ。

                      もちろん、品質には、差があったのだろうが。

                       

                       

                       

                       



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