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    和紙の豆知識 ] 日本で最初に紙を作るプロセスは壮大なロマン


    前回は、三椏(みつまた)の木の写真を紹介したが、

    今回は、楮(こうぞ)の木。

    こちらも、駿河半紙の内藤さんの工房の庭先に生えていたもの。

    言われなければ、全くの雑木。

     

    楮は、和紙の原料としては、もっとも一般的。

    この楮の樹皮の部分を煮て、溶かして、それにトロロアオイをいれて粘り気を持たせてから漉く。

     

    本当に、不思議なのは、古の人たちはどういう経緯を経てこの楮を紙の原料に選んだのだろうということ。

    更に、その樹皮を紙にする長いプロセスをどうやって開発したのだろうか?

    手漉きといっても、紙を漉くには、網が必要。

    最初に、紙を作ったプロセスは、現代ではもはや想像することさえできない。

     

    当然、中国からの技術導入があったわけだが、中国人たちはどうやってそれを発見したのか?

    そして、どうやって日本にその技術を伝えたのか?

    そういう風に考える歴史というのは壮大なロマンに満ちている。

     

     

     


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      和紙の豆知識 ] 滅多に見れない三椏(みつまた)の木


       

       

      和紙の原料となる植物は、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)の三種が多い。

      その三椏だが、名前は聞くが、あまり見る機会が無い。

       

      それぞれ、特徴があるのだが、京都楽紙舘の店長の太田さんは、三椏の特徴をこう話してくれた。

      「三椏は、精巧な印刷にも耐えることができます。日本のお札にも使われるぐらいです。そういう特徴があります。」

       

      先日、駿河半紙の内藤恒雄さんの工房を訪れた時、三椏の木を見ることができた。

       

       

      正直、どこにでもありそうな雑木に見える。

      この三椏にしても、楮にしても、

      我々の先祖が、この木を用いて、和紙をどういう経緯で使うようになったのかは分からない。

      数ある雑木の中から、選んで、和紙を使うのに適していると発見したのには、

      何年も、いや、何十年もかかったことだろう。

      ただ、三椏を使うようになったのは、わりと新しく、200年ほど前からだそうだ。

       

      成木になるには、3年ぐらいかかるそうで、黄色い花が咲く。

      調べてみると、ジンチョウゲ科の植物だった。

       

       


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        和紙の産地 ] 二人のサムライのやり取り


         

         

        台風が来るという昨日月曜日の朝、静岡県富士宮市にある内藤恒雄手漉き和紙記念館に行ってきました。今回、日本画家の芳澤一夫画伯も同行されて、和紙の生産者と和紙の消費者の会話を横で聞かせていただくことになり、実に面白かったです。何か、二人のサムライが、言外に語っているような真剣なやりとりがありました。実際に、和紙を使われている芳澤画伯の質問は的確で、それに説明をされている内藤さんの話も面白くて、台風で取りやめにしなくてよかったです。

         

         

        内藤さんは、ちょうど昨年の今頃、インタビューさせていただきました。その時は、内藤さんの半生の生きざまを聞き出すことができて、読み物としても好評でした。その時の記事はこちらからどうぞ。

        http://blog.doyoulikewashi.com/?eid=37

         

        内藤さん、昨年と変わることなくお元気でした。

         

        又、一方の芳澤画伯とのインタビューは、こちらからどうぞ。

        http://blog.doyoulikewashi.com/?eid=89

         

        内藤さんと芳沢画伯に共通するのは、独学で、内藤さんは手漉き和紙を、そして芳澤画伯は日本画を究めている。お二人とも、ここに来るまでの苦労は語らないが、想像にあまりある世界だと感じる。天日干しで和紙を製作されている内藤さんもある意味で芸術家。こういうこだわりを持っているというのは、まさにオリジナリティの世界。そして芳澤画伯の日本画の枠を壊しての新しい作風も、又、オリジナリティの世界。

         

        昨日のお二人の会話は、後日、アップさせて頂けたらと思う。

         


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          美術館 ] MOA美術館の「琳派ー光悦と光琳」に行ってきました。


           

          静岡県熱海市にあるMOA美術館。

          良い所だから行ってみたら、と聞きながらも

          何か、新興宗教がらみがあるとも聞いていたので、

          近くに住みながら訪れたことがなかった。

           

          しかし、書家の永田灌櫻さんが、

          「是非、行った方が良い。宗教色なんか感じないですよ。」とおっしゃったので行ってきました。

          ちょうど、琳派ー光悦と光琳を集めたものが6月8日から始まったこともあります。

           

          MOA美術館

           

          美術館自体の建築にも、大理石でできていて圧倒されるが、

          美術品、工芸品の数量と質にも目を見張らされる。

          そして、このMOA美術館は、写真撮影が自由というのも素晴らしい。

           

          しばし、展示物をご覧ください。

           

          本阿弥光悦

          (本阿弥光悦の書)

           

          尾形光琳

          尾形光琳の絵

           

          俵屋宗達

          俵屋宗達の絵

           

          琳派以外の常設の展示物でも、目を引くものが多い。

           

          MOA美術館

          (野々村仁清作、色絵藤花文茶壷 江戸時代)

          (両界 曼荼羅図 室町時代)

           

          (色絵 酒宴図 伊万里)

           

          そして、館内には金の茶室あり、能楽堂あり、館外にも茶席等々。。。

          MOA美術館茶室MOA美術館能楽堂

           

          岡田茂吉

           

           

          食わず嫌いで、訪れたことが無かったことを深く反省。

          先日、訪れた真鶴の中川一政美術館とは全く違った意味で魅力がある。

          是非、行ってみては如何?

           

          MOA美術館


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            美術館 ] 中川一政美術館ー木漏れ日の中の美術館


             

            神奈川県の西、海に突き出すような岬が真鶴岬。

            先端は三ツ石という、初日の出で有名な景勝地だが、

            そこに行くまでに、人の手が殆ど入っていない森がある。

            その森の手前に、中川一政美術館がある。

            まさに、森の美術館と呼ぶにふさわしい。

             

            中川一政美術館

             

            中川一政美術館

             

            この美術館は、1991年に97歳で亡くなられた画家中川一政の作品を集めている。

            真鶴町立のこの美術館は、日本の建築物100選に入っている独特の形状をしている。

            展示室は、全部で五室、それに茶室が飾られている。

            その全てが、中川一政の作品である。

             

            中川一政美術館

             

            展示室には、長椅子もあって、のんびりとした時間を過ごすことができる。

            美術館というと、都会の人は行列して、他の人のペースで眺めていくものというイメージがあると思う。

            しかし、ここは違う。全て、自分のペースで、誰にも急かされることも無いし、人の目を気にすることもない。

            中川一政美術館

            画家、中川一政についての説明は、近いうちに、往時の一政と親交のあった方のインタビューの中でさせていただく予定。

            とりあえず、グダグダ、駄文で説明するより、一政の年譜を写真で撮らせていただいたので、そちらをご覧ください。

             

            ​中川一政美術館

             

            美術館の中から、背後地にある森を見るとこんな感じ。

            中川一政美術館

             

            バードウオッチングをしながら森林浴をして歩いて、

            美術館で木漏れ日を浴びながら、中川一政の作品をのんびりと眺める。

            お昼には、磯料理を楽しむ。そんな贅沢でお洒落な休日は如何。

             

            http://www.nakagawamuseum.jp/topics/


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              当ブログについて ] 五月は、忙しい月になっています。


              最近、公私ともに、忙しい日が続いています。

              そのために、ブログの間隔が少し空いてしまいました。

              今週あたりから、ぼちぼちと再開します。

               

              さて、先週、山梨県富士川町の方に、写真家の小嶋三樹さんを訪ねてきました。

              もちろん、インタビューのためです。

              小嶋さんは、写真を和紙にプリントして、独自の光の世界を創作されているアーティストです。

              ただ、インタビュー記事は、少し遅れていますので、来月初になりそうです。

              期待してお待ちください。

              写真家小嶋三樹

               

               

              ケープ真鶴の「和紙はお好き?」のコーナーが、少しずつ充実してきています。

              これから夏にかけて来場者は、磯遊びや海水浴の方になります。

              そういう方たちでも、取り上げてくれるような商品を揃えないといけないと思っています。

              http://www.instagram.com/p/BhMCoyDja_L/?taken-by=doyoulikewashi

               

               

              そして、今月は、「書を世界に」というプロジェクトを進めています。

              最初、何も形の無い所から、YOさんとKNさんの努力で、

              少しずつ形をなしてきています。目標は、来月終わりまでに完成形を作りたいと思います。

              出来上がったら、当ブログでも紹介しますね。

               

               

               

              あとは、トレーディング部門でしっかりと利益が出せるように頑張ります。

               


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                インタビュー ] 切り絵の描き方を久保修さんに聞きました―第三篇


                JUGEMテーマ:アート、デザイン、日々 / Art, Design, LIFE

                 

                切り絵の作り方の手順

                 

                一つの切り絵の作品を作るには、最初にするのはスケッチを描くことです。

                久保修さん、スケッチ

                 


                その後、下絵(白と黒の世界を作る)を、描きます。

                久保修さん、下絵作成

                 

                それから、白のところを切り取っていくのです。下絵を和紙に載せて、テープで固定して、下絵と和紙を、二枚一緒に切っていきます。手順としては、白の面積の細かいところから切ります。この絵の場合、いがのギザギザのところからです。

                 

                久保修さん、切り絵の描き方

                これをこのままで置く場合と、黒く染めて、色を付ける作業をする2つに分かれます。切ったあとには、色をつけますが、それが、一番大変です。真っ白い和紙に、ブラシや刷毛で染めていくことになります。

                 

                 

                 

                (久保さんの使っておられる道具類)

                 

                小さいサイズのものは、2、3週間でできるけれど、大きいサイズのものは(例えばふすま一枚のサイズ)1カ月、2カ月とかかります。中には、1年かけて作るのもあります。工夫するのは、説明的なものにならないようにすることです。技術を見せる部分と、出来上がったときに芸術として主張しなければいけない両方を満たさないといけません。

                 

                 

                和紙については、こだわりを持っています。1枚の和紙をナイフで、繊細に切り抜いて仕上げます。作品の題材によっては、薄い和紙を幾重にも重ねて奥行や立体感を出していきます。そして、自分のオリジナルの鮮やかな色彩で、質感も表現していくのです。

                 

                あと、私は、下絵を本にして出しています。その下絵を使っていただければと思います。下絵を作るのは、大変です。しかし、本当に大切なことですので、私の下絵を使うことによって、皆さんの助けになればと思います。(アマゾンで久保修と検索すると、久保さんの著作が10数冊出てきます(筆者)

                 

                 

                ”インタビューアの独り言

                 切り絵画家久保修の成功から学ぶこと。”

                 

                久保さんは、非常に穏やかな雰囲気の人だった。しゃべり方もソフト。南向きの明るいアトリエでのインタビューは、実に、心地良いものだった。福島での展覧会の直前にもかかわらず、ゆっくりと時間を取っていただいたのは嬉しかった。今回、普段の編集後記と違って、何が久保さんを成功させたのかを考えてみたい。それは、アートを目指す若者だけではなく、全ての人生の挑戦者に参考になるのではないだろうかと思う。

                 

                キーワードは、「継続」、「海外」、「ハングリー精神」、そして「訪れたチャンスをものにする」。

                 

                実は、インタビューの最初、未だ本題に入る前に、久保さんは、この47年間、紙を切り続けてきましたと、自己紹介をされた。久保さんが、社会に出始めたのは、バブルの前。世間がバブルに踊らせられていた時も、金融危機の時も、リーマンショックの時も、久保さんは紙を切り続けていた。決して、詳しくは語らなかったが、大変なこと、嫌なこともあったことだろう。今ある久保修という切り絵画家は、継続してきた延長線上にあり、今後も、きっとそうなのだと思う。まさに、「継続は力なり」ということを。もちろん、画家としての、才能は必要なのだろう。ただ、継続するということ自体も才能の一つではないだろうか。

                 

                「海外に出て異文化に触れたらどうだ。」 若い頃の久保さんに、作家の小松左京さんはそうアドバイスをした。そして、久保さんは、1年間、スペインに滞在して、そこで、新しい境地を開いた。久保さん曰く、「それまでの自分は、“はみ出し”ができなかった。スケッチブックの枠の中でしか描けなかった。」 「スペインの芸術を志す人たちは、自由にやっていた。」 その1年間のスペイン滞在で一番感激したのは、色々なものが、吸い取り紙のように、身体に吸収されたことだという。

                 

                その久保さんは、この10年、日本の国内だけではなく、海外に目を向けている。切り絵の新しい理解者を増やそうとして、伝道師のように海外に足を向けている。

                 

                今の、日本人、特に伝統産業や古典芸能にたずさわる人たちには、海外の需要を取り込むのだという気概が、もっと必要なのではないだろうか。例えば、手漉き和紙の生産者の方々は、国内だけでなく、海外に目を向ける必要があると思う。

                 

                切り絵画家の世界には、日本の古典的な芸術界に存在している家元制度などがないから、そういったものには、頼れない。それは、果たしてマイナスのことだったのだろうか?久保さんが、「弟子を取らない」と、いうことは、弟子やその弟子からお金も取れないし、作品を売りつけることもできない。まさに、裸一貫で、世の中を渡ってきている。船底一枚下は地獄というわけだ。そういうハングリー精神が、成長の根源にあったのではないだろうか。

                 

                自分を取り立ててくれる人がいたら、相手の懐に飛び込むことの大切さを痛感する。久保さんの場合は、それが、たまたま、小松左京さんだった。小松さんという理解者を得たことは、非常に幸運だったと、述べている。読者の中には、「普通の人には、そんな僥倖は、滅多に訪れるものではない」と、反論されるかもしれない。しかし、仮に貴方に、そういうチャンスが巡ってきたときに、自分のものにすることができるだろうか?久保さんを引き立てた小松さんは、きっと、若い頃の久保さんの持っている何かに、惚れたのではないだろうか。そういうものを持っていたのではないだろうか。

                 

                今回のインタビューでは、ある程度の年齢になったら、自分が生涯追及するようなテーマを持つことの大切さを、教えてもらったような気がする。久保さんのテーマは、「紙のジャポニスム」が、阪神淡路大震災がきっかけだった。久保さんはたまたま40歳代に見つけたようだが、人生百年の時代だから、40歳でなくても良い。60歳、70歳、80歳でも、いつでも良いのではないだろうか。

                 

                学ぶべきことは、きっと、他にもいろいろあるだろうし、久保さんだけが知っている何かもあるのかもしれない。芸術家を目指す人だけではなく、今、読者が戦っているそれぞれの分野でも、久保さんの生き方が何かのヒントになればと思う。切り絵画家「久保修」

                 

                 


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                  インタビュー ] 第二篇 久保修さんとのインタビュー 「切り絵という手法で日本を描いていく」


                   

                   

                  ”阪神淡路大震災で被災―切り絵という手法で、日本を描いていこうと、決意しました。”

                   

                  阪神大震災で被災しました。一瞬のうちに長く続いたものが消えるということを体験したのです。日本には、数々の自然災害があります。 自然災害が起こると、廃材の山ができるんです。神戸の時、若い夫婦が、年代物だけれどまだ綺麗な輪島塗の箱を捨てているのを目撃。なぜ、捨てるのか聞いてみると、「この機会に、全てを新しくしたい。」と、そう言っていました。それを見ていて感じたことは、復興は大事だけれど、このままでは、日本の大事なものが無くなっていく。とにかく、これはまずいと感じました。

                  その時です。自分は切り絵という手法で、日本を描いていこうと、決意したのです。日本の原風景的なものは、消失しかけている。もちろん、まだまだ存在しているけれど、田舎の風景の中に都会があったりして、消失している日本があるのも事実。又、日本には、四季があって、長いこと続けていた生活は、その四季の変化に基づいているんです。

                  久保修 町家の四季

                  (作品:町家の四季 久保さんの代表作。2009年の制作。左から右に向かって四季の移り変わりが一枚の絵の中に描かれている。)

                   

                  神戸の地震の後、日本全国を旅しました。47都道府県全部を回りました。飲みに行くと楽しかったけれど、良い作品をつくることが大切と、飲みにいくことをやめて、作品作りに没頭しました。そして、テーマは「紙のジャポニスム」と決めました。日本には、素晴らしい四季の変化があります。それは、四季の風物詩だったり、旬の食材であったり。生命力にあふれた瞬間を切り取って作品に仕上げています。

                   

                  久保さんが、今回の福島での展覧会会場での解説で、紙のジャポニスムについて、「日本を見つける旅、日本に出会う旅、日本を感じる旅となっていった。」と、説明している。

                   

                  久保修 朝靄

                  (作品:朝靄)

                    

                  例えば、季節の代わり目。日本の春の色は、単純に緑一色ではないのです。多様な緑です。それは、グリーンが、濃かったり、パステルだったり、ハーフトーンだったり。そんな色の変わり方を出したい。そう思って、絵の具を混ぜていきました。葉っぱを一枚一枚、違ったグリーンで色付けします。これは、何十年もかかったけれど、これからも、それを追及していきたいです。

                   

                  (左から秋の七草、都の桜、朝顔、雪中椿)

                   

                  嬉しかったのは、ふるさと切手「隅田川花火、東京都」が1999年に採用されたことです。とにかく、自分の個展の案内状を、自分のデザインした切手で出したいと、強く願いました。思い続けていると、願いは叶うのかなと思います。その後、切手では、2009年に「深川八幡祭」と2012年に「大阪天神祭」とデザインが採用されました。 

                   

                  久保修デザイン切手

                  1999年に発行されたふるさと切手を最初に、久保さんのデザインは、その後2回採用されている。:隅田川 花火、東京都)

                   

                  切手のデザインが採用された頃に、東京に進出しました。それから、東京と大阪を行ったり来たりする生活になりましたが、悔しかったのは、東京で紹介される時に、「関西では有名な久保君」と言われていたことです。

                    

                  海外に出るようになったのは、NYでの2008年の、「THE NIPPON CLUB」展覧会がきっかけです。2010年には、NYを拠点に文化庁文化交流使となって、3カ月で30カ所廻りました。小学校、中学校、高校、そして大学でもワークショップを開催しました。フィラデルフィアのドレクセル大学に招聘されて、学生に教えました。ドレクセル大学には、その時から1年おきに行っています。

                   

                  ヨーロッパでは、スペイン・ポルトガル・ウクライナ・ロシアなど。アジアでは、マレーシア・フィリピン・シンガポール・中国など。普段、なかなか行けないような、イラン・トルコ・ジョージア・キューバなどでも、展覧会やワークショップなどの活動を行ってきています。ロシアでは、3回目の訪問の時に、モスクワの東洋美術館という国立美術館が展覧会を開いてくれました。国立の美術館が生きているアーティストの展覧会を開くというのは、稀なことです。

                   

                  私の場合、小松左京先生に応援して頂いたことは、本当に大きかったです。その後も、色んな人が助けてくれました。チャンスをくれないで、口で、言うだけの方もいます。チャンスをくださいと、若い時からお願いしています。批評するのは簡単だけれど、言われる方は大変。批評するからには、本人も覚悟を決めないといけない。そういうことで苦しんだことはあります。

                   

                  日本の古典芸能などでは、宗家とか流派の家元制度などのピラミッドがあります。しかし、切り絵をはじめ、いくつかの日本の芸術にはそういう階級制度みたいなものがありません。今のところ、私の場合、弟子は取りません。自分の実力だけで勝負していくものだと思います。 国も、本当は、もっと芸術部門にお金を使って欲しいです。ほんの少し、芸術に振り替えてくれたら、もっともっとやれるのです。そういう点で、外務省の文化交流使の制度で、NYに2009年に行くことができたのは、大きかったです。若い人たちは、もっと海外に出ていくべきだと思います。

                   

                   

                  ”「切り絵で描くジャポニスム」”

                   

                  今回、福島民報社という新聞社の創刊125周年記念事業で、展覧会を4月1日から5月6日まで行います。会場は、とうほう・みんなの文化センター(福島県文化センター)です。スペシャルイベントも多く、4月21日は、奥会津郷土写真家の星賢孝氏が、そして4月22日は、ピアニストの平井元喜氏がゲストとして来場します。出品数も193と多いです。この出品数は、大変な数です。自分も本当に力を入れています。

                   

                  (福島民報社創刊125周年記念事業のパンフレットの裏面)

                   

                  斉藤清という福島の木版画家の作品が好きでした。特に、会津は好きで若い時から、福島に行く機会が多かったです。私は、生まれが山口県(長州)ですが、その私が、会津を好きというのもおかしいですね。

                   

                  3・11以降も、何度も訪れています。風評被害もあり、子供たちは不安定でした。仮設住宅が出来て少し落ち着いたこともあり、何かできないかと思っていた時に、新聞社や市のバックアップもあって、切り絵のワークショップを開いたのです。被災者の方々も、最初は、切り絵のような細かいことはできないと言って、あまり、乗り気ではなかったけれど、だんだんと切り絵に集中するようになってきました。

                   

                  福島県には、思い入れがたくさんあります。日本のそれ以外に好きな所を5カ所ですか? やはり、自分の出身の山口県の美祢市、兵庫県豊岡市、岡山県全域、北海道の雪景色、そして九州ですね。

                   

                  第三篇は切り絵の描き方です。5月7日にリリースされます。


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                  インタビュー ] 切り絵画家「久保修」さんに話を聞きにいきました―第一篇


                  桜の花が、例年より、一週間ほど早く咲いた2018年。その桜が満開で咲き誇っている今年の3月、切り絵画家の「久保修」さんとのインタビューをする機会を得た。福島での展覧会直前にもかかわらず、お時間をとってくださった。このインタビューは、もう何年も会っていなかった、筆者の中学時代、高校時代のクラスメートが、和紙のことをやっているんだったら、この人と話してみたらとメールをくれたのがきっかけだった。縁は異なもの不思議なものを、地で行くような事の運びだった。

                  切り絵画家「久保修」

                  (久保修さんとのインタビュー2018327)

                   

                  最初に、久保修さんをご存知ない方に、簡単にご紹介させていただきたい。日本の数ある切り絵画家の中でも、久保さんは、日本国内はもとより、全世界で認められている唯一の画家ではないだろうか。国内では、ほぼ毎年日本各地で個展・展覧会を開いておられる。そして、久保さんの切り絵を使用した商品も、サントリーをはじめ数多くあり、さらに、ふるさと記念切手も1999年、2009年、2012年と発行されている。年賀状のデザインにも2回採用されている。

                   


                  久保修 サントリービール福島の春

                  (サントリービール ザ・プレミアム・モルツの缶のデザインは2015年から毎年採用されている。今年、2018年は、福島の春というエリア限定)

                   

                  海外での活動は、ざっと挙げただけでも、アメリカでは40カ所でワークショップや大学でのレクチャーをされている。さらに、スペイン、ポルトガル、ロシア、イラン、キューバ、トルコ、ジョージア、アジアでも、フィリピン、マレーシア、シンガポール、中国、シンガポールと、それこそ「地球儀を俯瞰する」活動をされている。久保さんの外交は、日本の知恵と美、そして芸術を発信しているのだ。なお、久保さんは、今年海外では、インドネシアでも9月に活動を予定しているそうだ。

                   

                   

                  そして、今年、2018年は、4月1日から5月6日まで福島市で「切り絵で描くジャポニスム」を福島民報社創刊125周年記念事業として展覧会を開かれている。 出品される作品数も、1988年から2018年までの30年間の集大成で190を超えるそうで、相当、気合が入っている。制作時間は短いものでも3週間ぐらいかかるとのことで、大きな作品では、年単位かかるという。それだからこそ、190の出品ということの重さが分かるのである。ゴールデンウィークには、是非、福島を行ってご覧になっては如何。

                   

                  久保修 ちらし

                  (福島民報社創刊125周年記念事業)

                   

                  今回は、現在にいたる久保さんの活動の軌跡と、久保さんが進めている「紙のジャポニスム」についての話、切り絵の作り方などを話していただいた。

                  久保修 因幡の白兎

                  (因幡の白兎: 久保さんは、寝る前に必ず枕元に、ペンとスケッチブックを置いているという。夢でみた物語や、風景などを忘れない間に残しておくためだと、「切り絵で描くジャポニスム」という本の中に書かれている。この波の上を走っている兎の夢を見たそうだ。)

                   

                  ”「久保さんが切り絵にたずさわるようになったのは、どういうきっかけだったのでしょうか?」”

                   

                  私の実家は、山口県の美祢(みね)市で建築事務所をやっていました。私は長男です。1970年に、大阪の大学に行き始めました。当時は、学生運動の残りが感じられる時期でした。建築では、パースという完成予想図を作ります。 石垣や木などを、紙を切ることでやってみました。その時に、紙をナイフで切るシャープな線ができるのが面白くなったのです。最初は、植物、果物のシルエットを紙で切っていたのです。

                   

                  その後、京都で、友禅の型染を見て、魅せられました。とにかく、紙で表現するのが面白い。そんなことをしているうちに、20歳になったら大学をやめていました。親には、勘当されましたが、母親は、しばらく仕送りをしてくれていました。助かりました。

                   

                  ”そこからどういう風に、現在の切り絵画家に進まれたのでしょうか?”

                   

                  27歳の時に、作家の小松左京さんに出会いました。 「大阪を考える」というシンポジウムがあって、大阪を語る会に、たまたま欠員があったので出席することになりました。行ってみると、周りは、年配の文化人ばかりでした。その時、小松先生が「見かけない顔だけど何してるの?」「どんな作品? 一度、事務所に持っておいで。」と言ってくれたんです。

                   

                  それから3カ月後に、作品を持っていきました。小松先生は、「自分が想像していたのと違う。一枚の絵にした方がいいじゃないか。」そう仰って、持って行った絵を借りてくれました。それから、時々、電話でコンタクトしていたら、ある時、パーティーで人を紹介してあげるからおいでよということで、大阪のプラザホテルの27階にあった小松先生の事務所に行くことになりました。そのパーティーが始まりで、東京でも、色々な人を紹介してくれました。

                   

                  更に、小松左京事務所がスポンサーになって、2日間の個展を開くことになりました。それがきっかけで、関西財界の人が支援してくれるようになりました。その次は、東京で開くことになりました。ベルビー赤坂の一周年記念で個展。その時、岡本太郎さんが小松左京さんと一緒に会場に来られ、「つまらないな。君の作品には、何かを壊そうという意欲がないよ。」と突き放されました。当時、誰にも負けないくらい細かく切ることはできたけれど、「君は、本当に、これが芸術だと思っているのか?」「これは、工芸部門だ。芸術じゃない。」本当に、ショックでしたね。

                   

                  その年、大阪で個展を開きました。毎日新聞の学芸部の記者が、私の取り組みを面白いと言ってくれたんです。その会場で、須田剋太さんという司馬遼太郎先生の挿絵を描いていた人に初めてお会いしました。その人が、初日のレセプションで、いい気になっていた私に、「久保君、君の絵は俗悪だね。」「君の絵は説明的だけど、絵画というのとは表現が違う。」

                  岡本太郎先生といい、須田剋太さんといい、強烈な批評でした。しかし、その須田さんも、個展で売れている絵の前は通り過ぎて、何も言わずに、「世界に久保君を認めてくれた人がいるんだ、だから、この絵については、僕は何も言うことはない。」「絵画を、もっと勉強したらどうだ。今のままでは、技術ばっかりに走って表現力がなくなる。」

                   

                  悩んだ結果、小松左京先生に相談しました。すると、小松先生にも、「絵から伝わってくるものがない。このままでは、映画村のセットになってしまう。」「それより、ここで海外に出て、異文化に触れたらどうだ。行ってみたい国はないのか?」 当時、ピカソが好きだったので、スペインに行きたいと答えました。ただ、渡航費がない、言葉もしゃべれない。それから数日して、小松左京事務所に呼ばれました。すると、そこに司馬遼太郎先生がいて、「君は縄文時代の顔をしている。」 

                   

                  岡本太郎さんには、「つまらない。」須田剋太さんには、「俗悪」と言われ、小松先生には、「映画村のセット」と言われたり、そして、司馬遼太郎さんは「縄文時代の顔」と言われて、ちょっと、むっとしていたら、「日本の物づくりの原点は縄文時代にある。だから、誉め言葉で言ったんだよ。」 

                   

                   

                  ”スペインに行ったことが転機となりました。”

                   

                  そんなこんな、話しているうちに、小松左京先生が、関西の作家と財界の人たちでスポンサーをしてやるから、スペインに行ってこいということになったのです。そして、一年間の渡航費と滞在費を出してくれました。33歳の時です。これが、転機となりました。

                   

                  スペインは、石の文化。そして、食べ物が違う。スペインでは、歴史に触れ、宗教絵画を鑑賞することができました。それは、「光と影」で、ちょっと、切り絵の世界に似ていると思いました。司馬先生が、「街道を行く」を執筆された時に、スペインでの案内役をされた山岡清さんという方がおられるのですが、その人が私のスペインでの身元引受役をしてくれました。その山岡さんは、私に、「スーパーマーケットには行くな。言葉が覚えられないから、市場に行け。」こういう、アドバイスもしてくれました。

                   

                  スペインでは、大陸、大地の広さ、見るもの全てが自分の五感に吸い取り紙のように入ってきました。それが一番感激したことです。スペインでは、他の画家は、みんな自由にやっていました。それまでの私は、建築の勉強をしたせいか、はみ出しができない。スケッチブックの枠から離れられなかったんです。

                   久保修 トレドの街並み

                  (作品:トレドの街並み)

                   

                  切り絵で、紙を切るというベースは変わらなかったけれど、それに塗る色を、自分で作っていくことにしました。これが、のちに自分を助けてくれました。画材に、布を使ったり、絵具に砂を混ぜたり、そういったものと切り絵をコラボさせました。自分は、それを混合技法、Mixed Mediaと名付けました。

                  久保修 スペインの赤い土

                  (作品:スペインの赤い土)

                   

                  そんなことをしているうちに、1年の期限はあっという間にきました。帰国したら、周りには、「スペインかぶれしたな。」「切り絵じゃなくなったな。」と、色々な批判を言う人がいましたが、気にしなかったです。そのMixed Mediaを追及していたら、某百貨店のバイヤーが、「久保修Mixed Media」という展覧会を開いてくれました。

                   

                   

                  第二篇に続く(5月4日にリリースされます。)


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                    インタビュー ] 山井綱雄師のインタビューの記事を書いての感想。


                    今回の「金春流シテ方 山井綱雄師」のインタビューの4回シリーズは、大変ご好評をいただいております。

                     

                    「面白い記事をありがとう」というコメントがFBでも寄せられております。

                    又、これを機会に、能楽を見に行くというコメントを寄せてくださった方もおられます。

                     

                    能の羽衣

                     

                     

                    確かに、第一篇で話してくださった「能楽はマインドフルネス」という視点は、持っていませんでした。目から鱗でした。

                    又、第三篇で取り上げた、山井さんが一番感動した、金春流79世宗家金春信高先生の渾身を振り絞っての「関寺小町」の話は、鬼気迫るものがあります。倒れても倒れても舞おうとし続ける中、後ろの地謡の方はその非常事態にもかかわらず、謡い続ける。そんな普通には、聞く事ができないエピソードを語って下さった山井さんには感謝感謝です。

                     

                    第四篇では、「ただ古い物を守っていくだけではダメだと思います。古きを訪ねて新しきを知る。まさに温故知新の精神が必要だと思います。」と、語られた山井さんの熱気を、このインタビュー記事が読者の方に伝えられたかと心配になります。

                     

                    このブログは、「和紙はお好き?」という和紙のネットショップのブログですが、和紙だけにはこだわらずに、日本の和の芸術、様式、古典芸能など、又、和にもこだわらずに、色々とジャンルを広げて、「いかにして、昔からあるものを後世に伝えていくか?」という視点で今後も取り組んでまいります。その中で、違った分野で活躍されている方の取り組み方が、他のみなさんの一助になればと思います。

                     

                    山井さんには、二回もインタビューのお時間を取っていただいただけでなく、公演でお忙しい中での記事のチェックなど、本当にありがとうございました。今後のご活躍を祈念いたします。最後になりますが、今回、山井さんを私どもに紹介していただいた御手洗さんには、お礼の言葉もありません。今後とも、宜しくお願いいたします。

                     

                     

                     

                     


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