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    インタビュー ] 太田こよみさんー京都の和紙の店「楽紙舘」店長さん


     

     今回のインタビューは、京都の和紙と和雑貨の店の楽紙舘の若い美人女性店長の太田こよみさんです。最初にインタビューをお願いしてから約半年、去年の12月に、ついに実現しました。       

     

    太田さんが働いておられる楽紙舘とは、私ども「和紙はお好き?」も、お世話になっています。太田さんは30代前半、京都の有名な和紙と和雑貨のお店、楽紙舘の店長をやっておられます。女性の社会進出は、日本では、なかなか進んでいないのが現実ですが、太田さんは、輝く日本の女性の代表選手の一人です。

     

     その楽紙舘のお店は、京都文化博物館の入っているビルの高倉通側の一階に面しています。三条通りにも近く、まさに、京都の商業地の中心界隈です。

     

    (楽紙舘の外観、京都文化博物館の入っている一階の北東側のコーナーにある。入口に近いところに和雑貨、奥には、日本中の和紙を販売しています。)

     

     

     

     

    “大学を卒業して10年。今、仕事が楽しいです。” 

     

    大学は、国文科で古文、特に源氏物語が卒論でした。美大の卒業ではないし、こういう風なキャリアになるとは思っていませんでした。楽紙舘の和雑貨のメインの商品に、源氏物語をあしらった物がいくつもあります。そういう意味で、源氏物語を専攻していたのが、雇ってもらえる鍵だったのかもしれません。当時から今でも、楽紙舘の商品は、文学的なものを入れたものを作りたいというのが、舘主の方針でした。

     

    楽紙舘の一筆箋は、源氏物語絵巻をデザインしている楽紙舘の旗艦商品)

     

    楽紙舘は、現在、12人で仕事をしています。仕事は、季節ごとに変えるディスプレイ、スタッフのスケジュール管理、仕入れ、事務的な仕事、展示販売での出張、そして何よりも、お店での接客の仕事があります。働きやすさという点と、一緒に働いているみんなが紙を好きという点で、良い職場だと思います。私よりも年上の人で、紙のことにすごく詳しい人もいます。みんな長く勤めてくれています。大変なこともたくさんありますが、今の仕事は楽しいです。

    (お店の中の太田さん)

     

    今は、スペースの関係でやっていませんけれど、前は和紙の手漉き体験なんかもやっていました。紙漉き体験では、小学校の卒業証書に使うものを作ってもらったりしていました。

     

    楽紙舘の本社は、上村紙株式会社という会社ですが、そこの上の人たちも、私たちがやりたい事をやっていいという雰囲気があります。自分の好きなことをやらせてもらえて、周りの人との関係も良いし、恵まれていると思っています。やりがいがあるので、こんなに長く続けることができたのだと思います。

     

    京都楽紙舘の女性店長

     (忙しい中、昼食を取りながらのインタビュー)

     

     

    “会社に入った頃には、和紙のことは全く知りませんでした。”

     

     

    楽紙舘の前会長の上村芳蔵は、和紙總鑑という全12巻の和紙の辞典を作る委員会での仕事に携わっていました。生産者一人ひとりを調べて、どんな紙を作っているかまで書いてあります。実際にどんな紙なのか、実物も入れています。今は、後継者がいなくなった漉き場の紙も掲載されています。これは、英語にも翻訳してあって、パリのルーブル美術館や、大英博物館には置いてあります。

     

    楽紙舘、和紙總鑑

     

    そういう会社の性格もあるのかもしれませんが、楽紙舘では、日本全県各地の手漉き和紙の生産者とお付き合いさせていただいております。ただ、紙漉き一本で生計が立たなくてなっているところも多いと思います。それで、後継者がいなくなっているところも多いです。

     

    今の社長をはじめ、特に、昨年99歳になった前会長は、常に新しいものに挑戦していると思います。私たちに、インテリアで和紙を使うということを、もうずっと前から、考えさせています。私が、入社したのが10年前ですから、その頃、既に、80歳代後半でした。

     

    最近は、紙の原料になる楮を作る人が減っていて、値段が高くなってきています。機械漉きの和紙はきれいでお値段的には安いけれど、お客さんには手漉き和紙の持っている温かみをも知ってもらいたいです。

     

    桜柄の和紙

    (桜柄の和紙には、春を伝える温かみがある)

     

    最近、越前に行ったら、雁皮(がんぴ、和紙の原料となる植物で、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)と並んで、よく使われる原料)を、栽培できるようになったとおっしゃっておられました。雁皮は、もともと、野生のものしかなく、さらに、成長が遅いのです。一年で育つようなものではないのです。だから、数が取れない。一方、雁皮を使った和紙は、滲みがあまりでなくて、光沢があるので、きれいです。かな文字等の字を書く際に使われています。三椏は、精巧な印刷にも耐えることができます。日本のお札にも使われるぐらいです。そういう特徴があります。

     

    又、お客様とお話する中で、だんだんと和紙について勉強させていただくことができました。温かみのある和紙

    (和紙には、色々な種類がある。その素材によって、光沢、肌触り、厚み、見た目、全部違ってくる。その触感は、洋紙のつるっとしたラッピングペーパーとは、全く違うものである。)

     

     

    確かに、太田さんは、商品や和紙について詳しい。インタビューを始める前に、何種類かの和紙を買うので、それぞれの紙の性質について、教えていただいた。どんどん、新しい質問をしても、しっかりと答えられていく。 紙の性格や色合いについても、的確だった。又、今回、お店を訪れる数日前に、土佐の典具帖紙を見たいと電話で聞いた時、たまたまその日は太田さんが休みの日だったが、電話に出られた店員の方に伺ったところ、その人が詳しく教えて下さった。更に、数日後にお店を訪れた時に、自分が典具帖紙について質問していたことが、太田さんにしっかりと伝わっていた。電話で、「和紙はお好き?」の橋本ですと、最初に挨拶しただけだったのに、これには驚かされた。素晴らしいチームプレーだった。

     

     

    “普段使いで、生活の中に和紙を使うことを提案しています。“

     

    私たちが心がけているのは、紙の使い方を提案していくことです。その中では、特に、インテリアで使うのが、入りやすい切り口だと思います。今まで、和紙を使ったことが無い人は、この紙ってどういう風に使えばいいのって、質問されることがあるんです。そういう方に、灯りに和紙を使うのを奨めるとか、普段使いで温もりを感じてもらえるようにディスプレイを心がけています。

    緑いろの和紙は、インテリアに使える

    (緑色の和紙を取り混ぜて、インテリアのアイデアが浮かぶ。左から、土佐板締め紙、阿波雪花染紙、オリジナル雲龍板締め紙、黒谷型染紙、楮もみ金砂子)

     

    今は、デジタルの時代ですよね。そんな今だからこそ、実際の紙の手紙を渡せば、喜んでもらえると思っています。誕生日のカードや、お礼状とか。例えば、文香なんかも、手紙を開けた時に、手紙に添えて入っていれば、受け取った相手の感じる印象は、デジタルでは絶対に味わえないものです。自分でも、時々、紙を使ってカードを作ったりします。この事について、太田さんは、自信を持って話をされていました。

     

    楽紙舘の文香

    (文香は、手紙の中に一つ入れておくと、受け取られた方が開封した時に、香りがする。生活に潤いを感じさせる商品で、わずか280円で五種類のカラーが入っている。)

    この商品は、こちらからお求めすることができます。

    http://www.doyoulikewashi.com/?pid=127728857

     

    楽紙舘の一筆箋

    (源氏物語をあしらった一筆箋は、楽紙舘の旗艦商品。ちょっとしたお礼を一筆箋に記して、文香を忍ばせて差し出せば、貴方の株が上がることは間違いないです。)

     

    昔は、紙を買う方は、全紙(90cm X 60cm)でお買い求めされることが多かったです。しかし、最近の需要家は、もっとサイズの小さい紙、例えばA4ぐらいを、何種類も買っていく方が増えています。和紙を使う人といえば、版画、切り絵、ちぎり絵、和紙人形、折り紙と用途は様々ですが、それぞれのニーズにあった物を提供できるようにしていきたいんです。だから、全紙でなくても良いのです。

     

     

    “私たちの仕事は、漉き場と消費者の間に立っていると思っています。“

     

    例えば、ディスプレイを変えたら、売れ行きが違ってくることが良くあるのです。それと、季節性については、とても気を使っています。今の季節(暮れ)だったら、赤とか金を使ったようなものが良く売れます。ハロウィンの頃には、それに合った商品を出して、見せるようにしています。

    楽紙舘の金小紋かんはた

    (金小紋かんはた)

     

    消費者の方は、島根地方の漉き場には、普段からは行きにくいと思います。しかし、楽紙舘は、京都の市内の交通の便のいい所にあるので、うちにいらっしゃれば、それが手に入ります。うちにいらしてくれれば、土佐紙も、美濃も、越前とも、日本各地の和紙を、比べることができます。

    草木染めの箸置き

    (楽紙舘の商品:島根県の和紙メーカーの作った草木染めの箸置き)

     

    外人の方も、お店にはよくいらっしゃいます。和紙について、大変よく研究されていて、京都にいらして楽紙舘をめがけて来られる方もいます。比較的、ヨーロッパの方が多いように感じます。そういう方たちも、日本全国の漉き場に行くわけにはいかないから、私たちが間に入っているわけです。

    京都楽紙舘の和紙

    (楽紙舘のお店の棚には、日本全県から集めた色々な和紙が揃っている。)

     

     

    “インタビューアーの独り言”

     

    インタビューを受けてくださった太田さんに、大変感謝しています

     

    当ブログでは、クリエーター、和紙や和雑貨の生産にたずさわる人々や、日本文化の承継者の方々を中心にしてきましたが、その視点だけでは何か欠けていると、常に感じていました。クリエーターだけに焦点を当てていると、和紙、和雑貨、日本文化を最終需要家に販売している多くの人々がいるのを忘れがち。そういう意味で、実際に、クリエーターや消費者の仲介をしている今回の太田さんのインタビューは、絶対に欠かせないピースです。

     

    太田さんと商売の話をしていると、その知識の深さに圧倒されます。このインタビューでも、雁皮、三椏などの和紙の説明もさることながら、一番びっくりしたのは、どうやれば、需要を掘り起こすことができるかを、常日頃から、深く考えていることでした。まさに、現場の声を聞かせてくれました。30代前半の年齢で、そういう意識を持っておられることに、びっくり、いや、素直に感激しました。それだからこそ、楽紙舘でも、太田さんを店長に任せているのだろうと想像します。

     

    クリエーターだけでは、あくまで自分が作りたい物を創ってしまう。しかし、販売をする人は、その商品の良さをどういう風に、お客様に伝えていくかを、必死に考えて実行しているのです。今回、太田さんが語ってくださったことは、和紙の成長は、インテリアに使うこと、そして、普段使いをお客様に届けるということでした。こういう視点が、生産者やクリエーターにも、必要なのではないでしょうか。そして、それは、和紙や和雑貨だけではないはずです。時代から、取り残され始めている古典芸能や、コスト面でなかなか勝てない商品を販売している店などにも通じるものがあると思います。

     

    この記事が、この業界に入ってみたいと思っている女性や若い人たちにとっても、役立つ記事になればと思っています。とにかく、今の仕事が楽しいと自信を持っている太田さんの言葉は参考になると思います。


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      季節の話 ] 799年前の一月の大雪の日、源実朝が暗殺された


      JUGEMテーマ:日記・一般

       

      きょうは、雪が降り始めています。

      天気予報では、10センチぐらい積もるとか。

      今朝は、熱海の沖合に、フェリーが停泊していました。

      向こうに見えるのが、伊豆半島。

      一番、左が川奈。小室山、大室山が見えます。

      天城連峰は、雲の中。

      熱海の沖合

       

      真鶴は、頼朝が挙兵に失敗して千葉に逃げた船が出航したところです。

       

      源氏では、源実朝は、歌人として有名で、

      その歌は、百人一首に取り上げられているぐらい。

      鉄騎集団の源氏には珍しいキャラの持ち主。

      しかし、その実朝は、大雪が降った1219年1月26日、甥の公暁(くぎょう)に暗殺される。

      旧暦だから、同じ1月でも今とは違うのだが、1月の大雪の日というのは、今日と同じ。

      実朝が死んで、源氏は、血筋が絶え、執権の北条氏の治める世の中になっていく。

      思うに、源氏の存在とは、今のイスラミック ステートのような野蛮なものだったのだろう。

      しかし、実朝は別。

      彼の歌は、今でも人々に愛されている。

      写実的な歌風は、万葉集に共通するという。

      そういった歌を後世に伝えた媒体が和紙。

      和紙は千年もつと語った芳澤一夫画伯の言葉通り。

       

      その実朝の代表的な歌を紹介します。

       

      世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも 

      (世の中は、いつも変わらずにあってほしいものだなぁ。渚(なぎさ)を漕ぎ行く漁師の引き綱をみると、胸が打たれるのだ。)

      (現代訳は、趣味時間さんからお借りしました。https://hobbytimes.jp/article/20161012a.html)

       

      大海の 磯もとどろに 寄する波 割れて砕けて 避けて散るかも

      こちらは、文字通りの磯の海に砕け散る波の様子を、写実的に詠んでいます。

       

      絵にしたらこんな感じでしょうか。

       

       


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        季節の話 ] ダイヤモンド富士


        元旦から既に、20日も経ってしまった。

        信じられないくらいの勢いで、日にちが過ぎていきます。

        今年の初めにたてた計画が、計画倒れになろうとしている。焦り!

        しかし、ここで、諦めてはいけない!!!

        毎日の積み重ねこそが大事。

         

        ダイアモンド富士

         

        お正月に、山梨の友人から、ダイヤモンド富士の写真を送ってきてくれました。

        ダイアモンド富士というのは、頂上から陽が昇ってくるその瞬間の輝きをダイヤモンドに例えているのです。

        初日の出を、その方のお知り合いが撮ったものだそうです。

        これが、実に、素晴らしいので、ちょっと時間が経ってしまいましたが、紹介させていただきます。

        上の写真は、まさに、日の出の瞬間。

        そして、下の写真では、もう少し富士山がはっきり映っています。

         

        ダイアモンド富士


        ちょうど、3年前の今の季節。

        写真を送ってくれた方のご主人が他界された。

        寡黙だけれど、ご自分の信念を持ち続けて普段からの日々を送られていた方だった。

        まさに、このダイアモンド富士のような、光を放っていた方だった。

        筆者とは正反対で、計画したプランを確実に毎日、実行されている方だった。

         

        その奥様は、今、去年秋に生まれたお孫さんの顔を見て元気に過ごされている。

        きっと、亡くなられたご主人も、どこかでにこやかな顔で、見守っているのだろう。

         

        JUGEMテーマ:日記・一般

         

         

         


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          能楽 ] 能の三大秘曲の一つ「乱」を見てきました。


          JUGEMテーマ:日記・一般

          JUGEMテーマ:能楽

           

          きょう、1月14日は、横浜にある久良岐能楽堂に行って、

          「乱」という番組を見てきました。

          猩々乱ともいうそうです。

           

           

          金春流の山井綱雄師がシテです。

          山井師は、先月、京都で金剛流の豊嶋宏一師との異流協演を見てきたばかりです。

           

          今日の演目の「猩々乱」は、中国の話だそうです。

          猩々というのは、海に棲む夢の動物ですが、基本は猿とのことらしいです。

          酒を飲むのが大好きで、高風という男に福をもたらし、

          ある晩、二人で酒を酌み交わすというストーリーです。

          鼓の音が舞台に響く中、猩々が舞います。

          その猩々役がシテの山井師。

          目の覚めるような赤とオレンジの装束を着て舞います。

          そして、酒を飲んでいるせいか、足が乱れているところから「乱」(みだれ)と名付けられたようです。

          能楽は、これで二度目でしたが、楽しんできました。山井師のシテの舞いが圧巻でした。

           

           

          実は、その山井師には、インタビューをお願いして、

          11月と12月にお話を伺ってきました。

          近いうちに、当ブログで発表できると思います。

          なお、山井師の次の演目は、千葉で行なわれる青葉能で舞われる「夕顔」が、2月17日です。

          なお、横浜上大岡にある久良岐能楽堂は、広い林の中にひっそりと建っています。

          とても大都市横浜の一角とは思えない場所です。

          近くにお住まいの方で、行かれたことが無い方には、

          是非、お奨めの場所です。

          下の画像で見るより、ずっと素晴らしい雰囲気のところです。

           

           


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            美術館 ] 静岡県函南町にある「かんなみ仏の里美術館」


             

            静岡県の東の端にあるのが熱海市、そこから丹那トンネルを抜けると、

            最初の駅が、函南。

            静かな、農業と牧場の町である。

             

            ここにあるのが、表題にある「かんなみ仏の里美術館」

            HPはこちらです。なかなかのものです。

            http://www.kannami-museum.jp/

             

             

             

            この美術館があるのが函南町の桑原地区という所。

            そこにあった桑原薬師堂というところに村人が大切に保管していた、

            平安時代の薬師如来像や、

            鎌倉時代の阿弥陀三尊像など全部で24体の仏像が飾られています。

            2008年に桑原区から函南町に寄付されて、

            町は、この仏の里美術館を設置したとのことです。

             

            前から、この美術館があるのを知っていましたが、

            今回、ゆっくりと訪れてみました。

            基本的に、こぢんまりとした美術館ですが、

            置いてあるものは、なかなかの物ばかりです。

             

            入場料は300円と、ユーザーフレンドリーな値段。

            入口には、ミュージアムショップもあり、

            頼むと、無料のボランティアさんがガイドしてくれます。

             

            展示してある仏像は、残念ながら、撮影禁止ですので、

            置いてあるパンフレットを使いました。

            又、現在、第十回新春美術展を開催してあり、

            多分、地元の腕に覚えのある美術家の作品が置いてありました。

             

            この美術館の見どころは、仏像を置いてある部屋。

            上からの照明が暗い中、仏像が浮かび上がるようなインテリアデザイン。

            見せ方で違ってきますね。

            雰囲気は、京都に一番古くからある広隆寺の

            弥勒菩薩半跏思惟像を展示してある美術館に似ていますが、

            神秘性は、この仏の里美術館の方があるような気がしました。

             

            なお、アクセスは、こちらのHPからどうぞ。

            基本的に、近隣には、オラッチェという丹那乳業の牧場がありますが、

            車で来場して、三島でウナギを食べるか、沼津港で食事をするなどと

            組み合わせると良いと思います。

             

            http://www.kannami-museum.jp/use.html

             

             

             


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              インタビュー ] 日本画家の芳澤一夫画伯に会ってきました − 後編


              前編では、芳澤一夫画伯の画家としてのスタンスについて、お話を伺いました。後編では、普段、画家の方に聞くことができない、日本画の技法的なこと、そして、画材などについて、お話を伺いました。 更に、そういった技法的なところから、画家芳澤一夫の、絵に対しての思いに触れることができました。自分で言うのもなんですが、とても面白い話だと思います。

               

              芳澤一夫、Kazuo Yosizawa

               

               

               “日本画と油絵の違い”について

               

              −絵具

               分かりやすく言うと、油絵というのは、顔料と油を練って、基底材(キャンバス)に固着させるのです。テンペラは卵の白身で固着させます。水彩画はアラビアゴムが入っていますが、水に溶いて定着させます。一方、日本画は、膠(にかわ)に溶いて定着、固着させます。何かの基底材に、何かを媒体として顔料を定着させる、この違いによって、絵の呼び方が違うのです。

               

              明治以来、西洋文化が入っていきて、西洋画とか、西洋音楽とかいうのに対して、日本画、邦楽というようになっただけですから。媒体に視点を当てるなら、技法的には、日本画は膠画というものではないでしょうか。

               

              フェルメールは、群青とか瑠璃色の青の使い方で有名ですが、ラピスラズリ(Lapislazuri)という金より高価な鉱石をすり潰して粉にして、それを数ある油の中から油を選んで調合して自分にあった絵具を作っているのです。ラピスラズリというのは、海を運ばれる青という意味です。

              (ラピスラズリ、画像はNAVERのまとめサイトからお借りしました。https://matome.naver.jp/odai/2142613563076051201

               

              日本画では、岩絵具をショップで買ってきて、それを膠で調合して塗るんです。膠というのは、動物の骨の髄だから、色んな種類があるんです。鹿が一番高級ですが、他にも、ウサギ、イワシ、魚、色々あります。技法的な話だと、それらを使い分けるのをマスターするのが一番難しいのです。

               

              これは、多くの人が勘違いしていることですが、油絵具のチューブに入っているのを買ってきて、それで塗れば、すぐ画けると思っています。そういうのが、売り出されてきたのは、この200年ほど。本来、絵を画くというのは、油を選んで、顔料を溶いて、そして定着させるのです。この作業は、日本画も同じ。ところが、ピカソのように、近代絵画では、チューブに入った絵具を使えば、それで済んでしまう。極端なことをいうと、これでは、ペンキ屋さんと同じ。今の、絵画は、インスタントなんです。しかし、日本画ではそれができない。顔料を、膠で溶いていくのです。なぜなら、膠は動物性のたんぱく質だから、腐るからです。近年、チューブに入ったものを売っているのがありますが、油絵の様にはいきません。粒子が一定でないから、チューブ入りにできないのです。

               

              「明日へ」と名付けられたこの作品は、震災の後に書かれたもの。何ができるだろうと考えた時、絵を描くしかないと思ったそうだ。

               

              −基底材

              絵具と同じで、これも近年はインスタントになっています。キャンバスは、麻布に白い保護を塗ったものを貼って、それに画くのが当たり前になっています。昔は、その下地から作っていた。それに、自分に合った絵具を使って描いていたのです。藤田嗣治は、世界的にも評価が高いです。彼は、そういう仕事をしている。

               

              私が使っているのは、麻の布も使うし、洋紙、雲肌などの和紙などです。最近は、和紙を使う機会が減っているのは、今の自分の画き方は、和紙では耐えられないためです。引っ掻いたり、削ったりするので、布の方が強いためです。

               

               

               

              しかし、究極は、和紙です。一番丈夫だし、1000年はもちます。今日、和紙の漉き手が減ってしまい、用途によって、使い分けることが、少なくなってしまっています。しかし、それは、使い手の問題でもあるのです。一言でいうと、多くの画家は、そういうこだわりを持っていないということです。 このこだわりがなくなったら、僕らの世界、終わりだと思う。今の時代は、こだわっていると、生産コストが合わないから、こだわれなくなっている。しかし、環境がどうあれ、経済的にどうあれ、追及していく人間は、やるんです。そういう人は、本物です。もちろん、こだわりにも良いこだわりと無意味なこだわりはありますけれど。

               

              パン画は、食うために画きます。とにかく、食えなきゃしょうがないからです。10万円の絵の依頼だろうと、100万円だろうと引き受ける。しかし、お金に関係なく、本物を追及する人間はいます。ゴッホもうそうだし、北斎もそう。自分は若いころからそこを目指しています。

               

              (自分の内には大好きな宗達とクレーがいていつも葛藤している。全く違うようにも思うがその大らかさのような何かが似ているように思う、とご自分で説明されている。)

              −筆

              大きくいうと、油絵、水彩、日本画があり、水彩には水彩に合った筆、そして毛があります。油はねっちょりしているから、硬くないと画けない。だから、豚の毛を使ったりします。ただ、油絵だから、必ずこの筆ですというわけではないです。油絵を描いていても、日本画につかうような筆が合っていれば、それを使えば良いと思う。藤田嗣治なんかは、面相筆で線を引いている。(面相筆とは、穂先が非常に細く長い絵筆で、顔の細部を描く時に使うことが多い。だから、僕の考えでは、あれは日本画に近い。絵を描くということは、自分らしさを探すという大きな目的のために、自分にあった基底材、素材を作って、その上に、自分に合った筆や道具を使って表現するというのが、絵画本来の在り方なんです。今は、それが、マニュアル化されて教則本まである。絵画本来やるべき事をやっていない。そういう点で、自分は、独学で良かったです。

              発明や発見、というのは、知らないが故にやって出来てしまったということが、時々あります。それは、絵画にも当てはまるのです。それこそが、まさに、芸術作品を作るということ。オリジナリティや発見が必要なんです。

               

               

              日本画というと、スタイルができてしまっている。牡丹が描いてあったり、和紙の上に描いてあったりと、それが、戦後、どんどん崩れていった。東山魁夷もそうだけれど、厚塗りになって、洋画とあまり変わらない。 今は、日本画というのは、雲肌麻紙(くもはだまし)に膠で画くというのがマニュアル化している。 (雲肌麻紙とは、麻と楮を原料に漉かれた厚みがある大変丈夫な和紙です。紙の裏を板につけるため紙の表面に繊維が絡まりながら雲のように見える。)しかし、戦前の横山大観は、和紙屋に、自分が求めているこういう和紙を漉いてくれとオーダーしていました。竹内栖鳳もしかり。この紙だったら、どういう吸い込み方をしてくっつき、絵具がどういう引っ付き方するのかを見極めるのが大事なんです。

               

               

              華の連作について

               

              2017年春の成川美術館の展覧会の一番奥に飾られた八連作も良い表現ができたなと思っています。これは、床の間が生活空間からなくなってきた現在、絵の世界も、西洋的な縮尺が中心になってきましたが、自分の中では、掛け軸のような縦長のものがしっくりとくるのです。それぞれ、左から、緑風、陽花、秋波、蝶華、桜花、風華、月華、秋風と名前がついています。

               

              芳澤一夫、Kazuo Yosizawa


              芳澤一夫、Kazuo Yosizawa

              (桜花)

              前出の泉屋博古館の分館長の野地氏は、この華の連作をこのように評している。「軽やかさは、丹念で緻密な彩色法によって可能になっているのだが、技法を追及したような求道的なな気配は一切見せていない。むしろ、警戒感とともに複雑な含みをもちながら、全体としてゆるやかに開かれた空間が出現しているだけである。」(絵の本より)

               

               

               

              インタビューアーの一言

              成川美術館の館長の成川さんは、「芳澤さんの絵は確かに異質である。技法的には、日本画の顔料と膠を使用しているのは、まさに日本画だが、その絵は形や線、あるいは色、造形というのは、従来の日本画を離れ、作家自身のロマンやファンタジーから導かれた、全く新しい絵」であると、日本画作品集の「絵の本」の中で述べられている。そして、少し硬直した「日本画」という枠を超えて、世界に飛び立つ力を持っていると結んでいる。

               

              画家として、一番、脂が乗ってくるこの時期に、新しい絵を描いている芳澤さんにインタビューできたことは、実に幸せなことだったと思う。芳澤さんの絵は、ステレオタイプの日本画ではない。膠で絵具を溶いているから日本画と呼ばれるのだろうが、その書いているものは、洋画の抽象画にも似ている。これは、現代日本の芳澤一夫という画家が産み出した、世界のどこにも無い、まさに、世界にデビューすべき作品群である。自分としては、この記事を、早く英語に直して、ニューヨークやパリに紹介していきたい。

               

              ところで、自分が、今回、芳澤さんの話を聞いていて連想したのは、「一国一城の主」という言葉。一切、ぶれることなく、本物を追及してきた人間としての自信に満ちた言葉の連続だった。芳澤さんは、なんの衒いもなく、自分の弱点や苦しみも飄々と話してくださった。

               

              芳澤さんと話していると、柔和な笑顔の中に、眼光がきらりと光る。そして、それが、一瞬のうちに消える。それは、将棋のプロが、勝負手を放つ時に見せる目力に似ているのではないかと思う。しかし、口ををついて出てくる言葉は、穏やかで、人を気遣う思いやりのある姿勢だ。彼が危惧しているのは、現代の美術界に存在しているインスタント化、マニュアル化。それは、本物の懐石料理を作る料理人が、冷凍食品やファーストフードで育つ子供たちの将来に対して抱く危惧に似ている。

               

              芳澤さんは、きっと、死ぬまで、絵筆も持ち続ける。オリジナリティを求めて、ご自分の絵を求めて、苦しみ、のたうち、時に絶望の闇に飲み込まれて、その中から、必ず、何かを生み出してくるだろう。それは、決して難解な絵ではなく、まさに子供にも分かる絵。芳澤さんは、それを、追い求めているのだろう。それこそが、本物の芸術だと思う。

               

              2017年3月に成川美術館の展示会に掲げられた芳澤画伯の感謝・希望と書かれた一文に、「これまで、不勉強ながら、自分に合った技法、表現方法を探求してきように思います。いずれにしましても、ほぼ独学でここまで絵の道を歩み続けていられることに感謝します。」と、結んでいる。

               

              今回のインタビューは、3時間近くの時間を取っていただいた。40年以上、自分の内面が求めている何かを追及しながら、絵を描き続けてきた芸術家の、そして人間の生の声を、正確に読者に伝えることができたのか、自分としては、実に、心配である。

               

              芳澤一夫、Kazuo Yosizawa

               

              芳澤一夫

              1954年神奈川県生まれ。小田原市在住。

              東京セントラル美術館日本画大賞展、上野の森美術館絵画大賞展、第三文明展、ブロードウェイ新人賞展等、公募展、コンクール展にて入選・入賞。

              文部省選定教科書の表紙、日本の歳時記(小学館刊)巻頭エッセイ大岡信氏の

              口絵担当等、多くの書籍に作品が使われる一方、さだまさし氏のジャケット画、

              小田原駅内のステンドグラス原画制作、立花学園創立80周年記念壁画制作、

              小田原市・白秋の道タイル原画制作など多方面で活躍。

               

               


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                インタビュー ] 日本画家の芳澤一夫画伯に会ってきました − 前編


                今回のインタビューは、日本画家の芳澤一夫画伯です。

                日本画家として、常に、新しい物に挑戦して40年以上。

                現在63歳。昨年は、日本画の殿堂ともいえる箱根の成川美術館で、展覧会を3カ月開き、

                現在、ますます脂が乗ってきています。その芳澤画伯の、画家としての生の声をお届けします。

                芳澤一夫、Kazuo Yosizawa

                 

                “僕は、ずっと、ぶれずにきています。「絵描き」ですと言っても嘘ではないくらいに、やってきています。

                 

                実は、絵を画く、絵描きになるということを、小学校の卒業文集に書いているんですよ。その後、芸大受験したが合格はしませんでした。浪人時代は、解体業とか、色々なアルバイトもしていたのですが、東京では何とか生活できてしまうのです。それで、こんなことをしていてはダメだと思って、育った小田原に戻り、独学で学びながらコンクールへ出展するようになりました。入選落選を繰り返しているうちに、働きながら、28歳で結婚。29歳で、デザイン会社に入社しました。絵描きだけでは、食っていけないので、それなりの覚悟でした。

                 

                幸い、デザイン会社では、色々任せてもらえるようになり、地位も給料も上がったのです。しかし、仕事で、時間が拘束されるのが、きつかったです。仕事が終わってから、自宅に帰宅するのが、深夜になることも良くありました。その時間から、コンクールに出す作品や大作を描いていました。周りの人から、「いつ描いているんだ?」と、しばしば聞かれました。今、考えても、自分は、それくらい描いていたのだと思います。

                 

                四十年程前に、公募展に出品した作品の麻布をコラージュしてできた作品は、2017年に「希望の木」として成川美術館の展覧会に出品された。随分と長い時の経過が懐かしくもあり、新しい作品に生まれ変わったことに感動している自分がいる。と書かれている。

                  

                 

                コンクールに初めて入選したのが24歳の時。嬉しかったですね。最初から、賞を獲るつもりでしたから。画いた作品を写真で撮り納めておくのに、カメラを、すぐに買いにいったりしたのです。

                 

                どうして、それができたのかは、まず、周りの人に恵まれていたこと。そして、自分の中で、絵描きになるという意志は、全然ぶれていなかったことです。絵が描けないなら、働いている意味は無いというので、会社には、2回辞表を出しました。会社は、「自由にやっていいから、働いていてくれ。」と言ってくれたのです。もちろん、すぐに、状況が変わることはありませんでしたが、30歳を過ぎてから、「芳澤というのは、頑張っているんだな」と、家族、親戚、友人、会社も分かってくれるようになりました。

                 

                 (朱鷺というこの作品は、シンガーソングライターの、さだまさしさんの「にっぽん」のジャケットに使われた。)

                 

                僕は、東京芸大の試験は、4回受けて合格しませんでした。東京芸大というのは、34浪は当たり前というところですけれど。21歳の頃から、油彩から日本画に転向したのです。そうすると、油は木炭でデッサンしてきたのが、日本画は鉛筆でデッサンするので、その差があって無理かなと思い、芸大を諦めました。それに、自分では、デッサン力は、誰にも負けないと思っていましたが、周りの人間で、明らかに自分よりデッサン力が弱いと思った人間が合格をしていく中で、芸大に入る目標を失ったんです。

                 

                当時、油彩を卒業するのが40人いたとして、みんなが芸術家になるわけではないのです。絵描きとしてプロで食っている人は、まずいないです。もちろん、学校の先生や絵画教室の先生を含めれば、それなりにいることはいます。自分は、第一線で活躍しているとは、まだまだ言えませんが、「絵描き」ですと言っても嘘ではないくらいに、やってきています。

                 

                 

                 

                芸術家としての信念‐宿業

                 

                どんな職業であれ、それが、芸術家と呼ばれるような人であれ、数学者であれ、山中さんのようなノーベル賞を取るような科学者であれ、自分のやっていることがお金になるとかならないとかということは、考えていないと思います。そこには、使命感というか、宿業、運命みたいなものがあるのです。その使命感みたいなものがある人が、他の人にはできないことをやるんです。経済環境、家族の反対など、障害は色々とあるけれど、そこでやめてしまう人はそれまでの人間。何があっても、やる人はやる。

                芳澤一夫、Kazuo Yosizawa

                芳澤一夫、Kazuo Yosizawa

                芳澤一夫、Kazuo Yosizawa

                芳澤画伯の好きな文字誕生という言葉。この三部作は、文字誕生と名付けられている。20173月の成川美術館で開かれた展覧会で発表された。 

                 

                自分は、そういう意味で、先ほども言いましたが、ぶれなかった。絵描きになるという意志を捨てたことはないです。だから、「無理かな、諦めよう」と思ったことは一度もない。さすがに、この年になると、ふと、自分には才能が無いのかなと思うことはあります。偉そうなことを言うようですが、絵描きとは、かくあるべきという価値観が既に確立しているのです。レオナルド ダ・ヴィンチの最後の晩餐のレベルを自分があるべき姿だと思っているから、「自分には無理かな?」と考えるのです。こんなことを若い時から、言っているから、芳澤は、大風呂敷を広げると言われるのですね。ただ、こういう絵を描きたいという希望はあります。そこについては、ぶれていないのです。

                出世したいとか、現実世界で競争したいという希望ではなく、「こういう生き方をしたい、こういう絵を画きたい!」という希望はあるのです。それに向かって一所懸命やっているのですが、「無理かもしれないな」という絶望に、時々、襲われます。

                レオナルド ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」画伯が、自分のあるべき姿という。画像は、WIKIPEDIAからお借りしました。

                 

                “パン画と芸術家との差とは、、、

                 

                 パン画という言葉があります。売るために画く。食べるために画く。侮蔑的な言葉です。職業画家の事ですが、大先生方はバカにします。僕もそう思っていました。でも、みんなパン画じゃないかとも、思っています。例えば、ゴッホだと、弟のテオドルスが画商で、売るために描いてはいたけれど、目的は売ることが100%ではなかった。売りたいけれど、それに合わせて描いていたわけではない。売ることに合わせて描いている人を、パン画ということになるものです。純粋に、自分の芸術性を求めて、こういう絵を描きたいということを目指しているのが、本当の芸術家だと思います。僕が憧れているのはそこなんです。

                 


                 

                 

                 

                “絵を描くときは、どのように始めるのですか?”

                 

                これは、難しい。自分の中に自然に存在している“描きたい”という何かがあるのです。それは、何を描くという具体性を持ったものではなく、もっと自然なもの、わけの分からない何かを、常に自分の世界を探しているのです。そのために生まれてきた。その探す行為を毎日しているのです。

                 

                春の成川美術館の展覧会では、ある程度、方向性が出せてきたと思います。テーマは、具象と抽象でした。全て、全力で描いたものですが、その中で、自分で主張することができた一つが、“四季”の連作です。出来上がってみると、ヴィバルディの“四季”のようなものが創りたかったと気づきました。その時に出した画集の本の中にもありますが、知らないうちに、心のうちに沈殿しているものが出てくるような感じです。

                芳澤一夫、四季

                上の画像は、成川美術館で撮られた写真。この四季について、泉屋博古鑑の分鑑長の野地耕一郎氏は、<四季>と題された連作は、銀箔の下に刷り込まれた岩絵具の色彩が、削り落とされた鋭く錯綜する線の下から顕現する画面によって成り立っている。しばらく見つめているうちに、〜〜とても魅力的な作品たちだ。画面にあらわれているのは、集積した色彩の線なのだが、その描線の調子の美しいリズム、そのリズムを増幅する銀箔による空間のざわめきのようなもの、といえるかもしれない。その空間は、ビジュアル的なものというより、まず触覚的なものとして認知されるだろう。と評している。(絵の本に寄稿された野地氏の批評) この画像では、それを伝えることができないのが残念です。

                 

                例えば、「紅葉が綺麗だな」と思い、それを絵にしてみようと思ったとすると、自分の中にもともと希望や憧れみたいなものがある。それを見た時に、たまたまインスピレーションが湧く。それをよく、「降りてくる」と言う人もいる。しかし、そういう神がかり的なことではない。だから、芳澤一夫の画きたいものは何だと聞かれても、言葉にすると理解できないのではないでしょうか。ただ、ひとつ言えることは、その作品には生命感がなければならないということです。これが大事です。

                 

                芳澤一夫、Kazuo Yosizawa

                「花は希望、希望は人生の花」というのは、私のテーマである。芳澤画伯は、2017年3月に成川美術館で発表された「花三連作」の横にそう記している。更に、「私自身の心の中にいつも咲いていて欲しい花たちがいる。」と記している。

                 

                “子供をライブの音楽会や生の展覧会に連れていきなさい。”

                 

                絵には、生命感がなければいけないと言いましたが、それでは生命感というのは何なのか。子供は絵を見てストレートに感じる。分かりやすく言うと、子供が見て感動してくれるような絵を描きたいと思うのです。個人的には、ピカソは嫌いだけれど、ピカソもそれを目指していると思う。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、老若男女問わず誰がみても感動するものです。ローマ法王だけでのものではないです。芸術作品とはそういうものです。

                音楽でもそうです。「クラシックの音楽会に、子供は連れていってはいけない、まだ早い」などという大人がいますが、一番、音楽を理解できないのは、頭脳が出来上がっている大人なんです。子供の頭脳には、ストレートに浸み込んでいく。だから、子供は、「わぁ、きれい」「わぁ、楽しい」「わぁ、可愛い」という表現を良くしますよね。それが、大人は、「これは何をお描きになっているの?」「これは、どのくらいの時間かけて描いたのですか?」、もっとひどいのは、「これは、幾らぐらいするの?」

                 

                一つの絵から感じるものが、大人と子供では違うのです。だから、子供に、良いと思われる絵は本物です。それだからこそ、子供には、ライブのクラシックや、生の展覧会を連れて行くべきなんです。良い物を、若い頭脳に浸み込ませるのです。

                 

                芳澤画伯の絵には、ファンタジーやメルヘンを感じるものが多い。そして、絵そのものが、子供にも分かるものが多い。それでいて、日本画の技法でそれを描いている。それが、日本画家芳澤一夫の特徴である。

                 

                前編はここまでです。後編では、日本画と洋画の技法的な差、画材、紙の選び方を通して、画伯に画家としての思いを語ってもらいました。

                後編は、1月10日にリリースします。

                後編はこちらからどうぞ:http://blog.doyoulikewashi.com/?eid=90

                 


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                  当ブログについて ] 過去はもう戻ってこない。


                  「チーズはどこへ消えた」という本があった。

                  正確に覚えてはいないが、持っていたチーズを求めて、いつまでも動けない人間と、

                  チーズが戻ってくるのを諦めて、新しい食料を探しにいく人間との比較を描いた童話風な話だった。

                   

                  ちょうど、バブルが破裂して、働いていた会社が無くなってしまった人の中で、

                  「私は、XXX銀行の部長だった。」と言って、昔の栄光や給料が戻ってくるのを待っていた人。

                  「もう会社が潰れたのならしょうがない。何でも良いから新しいことを始めなくては。」と、切り替えていった人。

                  今世紀の始まりは、そんな人たちが交錯していた時代だった。

                   

                  人間、過去の栄光を持った者ほど、新しいことができなくなるケースが多い。

                  いや、栄光というより、過去への執着というべきかもしれない。

                  有名大学出身、実家の名声、優良会社就職、そういった過去への執着。

                  しかし、

                  過去はもう戻ってこない。

                  未来はまだ来ない。

                  だから、今を大切に生きろというのは、言うは易いが、実際、持っているものを捨てるのは精神的な抵抗が多い。

                  一方、断捨離名人は、捨てることに躊躇しない。

                  うちの家内など、ちょっとでも使っていない物を見つけると、捨てる。捨てる。捨てる。

                  捨てることが、無上に、嬉しいらしい。

                   

                  会社の経営にしてもそうだ。

                   

                  イーストマン・コダックという、世界一のフィルム会社があった。

                  しかし、デジカメの登場と共に、フィルムの需要は無くなった。

                  そして、イーストマン・コダックは2012年に連邦破産法を申請した。

                  一方、フィルムの生産でそのコダックと覇権を争っていた富士フィルムは生き残った。

                  デジカメを作り始め、化粧品の生産を始めた。

                   

                  東芝は、悪いものを捨てずに、隠していた。

                  総合的な電気会社という名声が、事業の一部を捨てることをためらった。

                  そして、テレビ、白物家電、医療機器、原子力、半導体事業を手放さざるを得なくなった。

                   

                  同じ事が、和紙をはじめとした、日本の文化にも言えるのではないだろうか?

                  新しい需要を創り出す、見つけにいく、そういう努力を間断なく続けたものだけが、生き残っていく。

                  去年の時点で65歳以上の高齢者は3500万人。

                  今から、20年経つと、その殆どは、いなくなってしまうのが現実。

                  現在の高齢者の需要や支援に支えられている文化の一部は、危機的な状態がくることになる。

                  フィルムの需要がなくなって消えたコダックと同じ状態が発生していく。

                  だから、過去に囚われずに、捨てるべきものは捨てる。

                  そして、新しい需要を見つけにいく。

                  そういう姿勢が必要なのではないかと思うのですが、如何でしょう。

                   

                   


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                    季節の話 ] お正月には凧揚げて、、


                    JUGEMテーマ:今日のキーワード

                     

                    関東のお正月は、快晴で天気が良いことが多い。

                    そんな中、公園で凧を上げている親子が数組。

                    凧揚げ

                    私が子供の頃から、すでに、凧揚げは廃れてきていた。

                    空地が無い。広場が無い。そして、電線ばかり。

                     

                    そう時代と共に、遊びも変わっていく。

                    お正月には凧揚げて、独楽を回して遊びましょうという姿は、

                    既に、日本のお正月風景から駆逐されていると思っていた。

                    羽付きもしない。それは、仕方の無いことなのだが。

                     

                    この湯河原の夢公園という広場は、

                    野球場が二面、サッカーコートも二面は取れる広場。

                    凧揚げには、絶好のポイント。

                    遊んでいる子供たちの嬌声が、広い公園に響き渡る。

                    凧揚げ

                    こういう遊びも将来に伝えていきたいものだと思う。

                    それでも、この広い公園にいる子供は、意外と少ない。

                    凧揚げを知らない親世代に育てられる子供は凧揚げをしなくなるのだろう。

                    一方、テクノロジーの発達は、凧の形状にも影響していて、

                    すっと揚がる。これなら、簡単だなと思う。

                    3歳ぐらいの子が走って凧揚げしている。

                     

                    この凧を見ていて思い出したのは、大竹和紙で鯉のぼりを作っていた大石さんのこと。

                    和紙の鯉のぼりは、風が通る時は、バサバサと実に気持ちの良い音を立てると、話してくれた。

                    一度、その音を聞いてみたいものだ。

                    和紙の鯉のぼり


                    0

                      季節の話 ] 一富士二鷹三茄子の謎


                      JUGEMテーマ:今日のキーワード

                       

                      初夢を見たことってありますか?

                      私は、無いです。第一、夢を見ることが、殆ど無いです。

                      そして、初夢に見るべきという、

                      一富士二鷹三茄子(いちふじ にたか さんなすび)、分かりません。

                       

                      一富士は分かります。縁起が良いというか、日本の山の代表。

                      初夢で、富士の夢を見たら、きっと何か良いことがある。

                      昔の人がそう考えたことは分かります。

                      富士山

                       

                      富士山

                      二鷹、これも、理解しようと思えばできないことはないです。

                      鷹は強くて賢い。そういう夢を見れたら縁起が良いのでしょう。

                      鷹ではありませんが、はやぶさの写真です。

                      さて、問題は茄子。なすの夢を見るのが、初夢として縁起が良いのか。

                      これが分かりませんでした。

                       

                      それで、調べてみると、

                      茄子は成すにつながるのです。そう成功に繋がる夢なんだそうです。

                       

                      ちなみに、富士は無事。鷹は高く飛ぶ。そして、茄子が成す。

                      そう、一富士二鷹三茄子は、上昇志向の強い初夢なのです。

                      哀しいことに、私は、富士も鷹も茄子の夢を見たことはありません。

                      だから、上昇しないでいるのでしょう。

                      皆さんは、どんな初夢をご覧になりましたか?

                       

                      蛇足ですが、三茄子には、続きがあって、

                      四扇(扇は広がる)、

                      五煙草(タバコの煙は上昇する)、

                      六座頭(座頭は剃髪した盲人だったので、毛が無いが、怪我無いに繋がる)

                      ので、縁起が良いとのことです。

                       

                      最後に、西湘の空を高く飛んでいる鷹ではなく、トンビの写真をどうぞ。


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